東京紅葉散歩 その伍(大手町・丸の内)

 

前回「東京紅葉散歩 その肆」の続きです。

 

皇居東御苑を大手門から退苑すると、目の前はすぐ大手町である。

 

大手町・丸の内は、言わずと知れた「日本の金融・商社・マスコミなどの本社」が軒を連ねる一角だ。かつて、日本がまだ先進国であった頃、大手町・丸の内が世界経済に大きな影響力を持っていた時期もあった。

 

しかし、日本がずるずると後進国に後退すると、そうした「兵(つわもの)」たちの持つプレゼンスもずっと低下してしまった。「まだまだブイブイ言わせるよ」と空元気な企業もあれば、「うちのとこって、前はすごかったよね」という想い出モードの企業も少なくない。

 

総じて、そうした日系大企業の経営陣には、本音では「自分が退職するまでは、なんとか自分の会社ももって欲しい。できれば企業年金とかずっと欲しいし、退職後に自己紹介するときに便利だから、自分が死ぬまでは頑張って。」というサラリーマン思考の人々が少なくないようだ。米国企業や中国企業のように「うちの会社を業界で世界トップにしてやる」という野心的な人はほとんどいないのではなかろうか。大手町や丸の内に樹木は少ないが、このエリアでも「紅葉の時期」を迎えている、と肌で感じるのは自分だけではないだろう。

 

とはいえ、大手町・丸の内というのは、日本の経済史を語る上で、まだまだ燦然と輝く地区である。また、丸の内側から見た東京駅のファサードや周囲の財閥系のビル群などは、その重厚感・高級感から、やはり大したものだなァと見上げる人々が多い。大手町には丸の内線、千代田線、東西線、半蔵門線、三田線と5本も地下鉄が走っており、いかにこの地区が重要であったかが分かる。

 

 

辰野金吾と葛西萬司の設計による東京駅丸の内口駅舎は、昼も夜も美しい。ドイツから招聘されて鉄道建設を指導していたフランツ・バルツァーは、日本風の駅舎を提案していたというが、当の日本人たちは「和洋折衷、どっちかというと洋のテイスト強めで」という要望が多く、「和風な東京駅」は実現しなかったという。

急な勢いで発展する途上国では、「自国の文化が時代遅れか、空っぽなのではないか」という焦燥感から、「とにかく洋風なもの」が好まれる傾向があり、かつての中国でも「ラブ・ホテルのような外観の洋風のコンドミニアム」や「獅子の足付きの家具」が好まれた時期もあった。また、今日のベトナムを訪れると、20年遅れて中国と同じことをやっている様子が垣間見られる。

 

1914年(大正三年)に開業した東京駅(中央停車場)であるが、その前後の時期の日本でも、同じような「西洋かぶれ(ハイカラ万歳)」、偏向した「脱亜入欧」のトレンドがまだあったことが窺える。

 

個人的に、ここ数年で丸の内の景色を眺める際に最も好きな場所は、中央郵便局を改装してできたKITTEの屋上庭園「KITTEガーデン」からの一望である。

 

ここからは丸ビルや新丸ビルもしっかりと捉えられ、東京駅のファサードも斜め上から全体像を見渡すことができる。東京駅プラットフォームを挟んで裏に聳えるリクルートのビルや百貨店群なども一望でき、「東京の表玄関」という趣がある。

また、KITTEに来るとほぼ毎回立ち寄ってしまうのが、二階三階に入居する「J Pタワー学術文化総合ミュージアム」である「インターメデイアテク(IMT)」だ。

 

ここには動物の剥製・骨格標本、鉱石の標本などが、そう広いとはいえない館内に美しく展示されている。「この星のワクワクする部分の縮図」の如き玉手箱のようなミュージアムであり、宮沢賢治が在命であったらここIMTを好んだことであろう、と夢想する場所だ。

「切手」は「切符手形」の略

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