ミャンマー人の「施しの精神」とダーク・サイド

 

 前回の「ミャンマー鉄道の特殊性」からの続きです。

 

 

 現地の数人の学生たちと一緒になって、バゴー駅の近所の民家にてトイレを借りた。女子学生たちの後に、外国人である自分に、先に用を足すようにと促してくれた男子学生たちは、自分が用を済ますまでに、なんとトイレの使用料を払ってくれていた。ミャンマーの学生に「民家のトイレ代金」を奢られてしまったのである。

 

 何度も「払うよ」といってお金を渡そうとするも、学生たちは「安いから、安いから」と固辞する。

 かつて、ヤンゴンでバスに乗った時にも、バスの中で話しをした若いミャンマー人の男性が、彼が降車していく際に、自分の乗車料金を先に払ってくれてしまったことがある。自家用車に乗っているような、ある程度の収入のある人々ではなく、公共バスに乗っている人が、見ず知らずの外国人の乗車料金を別れ際に払ってくれてしまったのだ。

 

 ミャンマーの人々は、「世界で最も施しをすることに熱心な人々」であると聞いたことがあるが、バスや鉄道に乗っている人たちといえば、どちらかと言えば貧しい層であるはずだ。ところが、そんな彼らが名前も知らない異邦人の旅人に、自然と施しをするのである。

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 ところが、こうした気持ちの良い性根の持ち主だけでないのも、ミャンマーである。ミャンマーでは貧しいうちは「なんとかやりくりして、みんなで助け合って生きていこう」という意識が強い。ところが、特権階級になって私腹を肥やせるようになると、急に「あれもこれも自分のもの」といった具合に、弱者や社会システムから搾取するよう豹変し、それに慣れてしまうようである。

 

 実のところ、これは日本を含め、他の国でも同じことなのかもしれない。「貧しいものは少ない持ち物をシェアし、富めるものは自分のものを取られないよう囲い込み、さらに弱者から搾取しようとする」傾向は、世界的に進んでいるようだ。(世界の富裕層の1%が、世界の下から80%の人々と同等の資産を持つという。また、世界で最も不公平な国と呼ばれるタイ王国では、上位1%の富裕層がタイ王国全体の67%もの資産を占有しているという。)

 

 貧しい頃は、「施すことに世界一熱心なミャンマー人」であっても、ひとたび特権階級となると、お隣のタイ王国やラオス、ベトナムなどのASEAN地域の人らしく、「搾取することに奔走する」ようになるのは残念でならない。

 

 

 翻って、日本はどうだろう。住民の大多数が反対する沖縄の基地の建設は進み、年金は政府・行政に溶かされ破綻している。すでに、一般市民の税負担率は、江戸時代の農民以上に厳しくなっているという。かたや政治家や役人の待遇は厚い。

 

 絶対的な所得が日本人の方が他のアジア諸国より多いので、他のアジアの国々よりマシだと考えている人が多いようであるが、実際には日本経済の衰退・貧困化・搾取率・民主主義の形骸化は、かなりのところまで来ているように思えてならない。

 

 

 

ダーク・サイドに堕ちないように。

 

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