前回のブログ、「巨大坐像を建造中のパークナム寺」からの続きです。
多層階の駐車スペースすら持つパークナム寺の境内を散策してみると、この寺の資本力の凄さが感じられる。
「完成間近の巨大坐像」しかり、「大仏塔(パゴダ)の中の有名なエメラルドの仏塔」しかり、さらには大仏塔の中5階までの宝物庫にも大量の物品が納められている。パゴダの内部は全て、パークナム寺が集めてきた、あるいは信者から寄進された仏教関係の宝物で埋め尽くされているのである。
しかも、ここに展示されているのは、このアユタヤ時代から続くパークナム寺の持つ資産のごく一部なのであろうことは、そのコレクションの量と雰囲気から察せられる。
パークナム寺の境内マップを見ると、瞑想ホールや僧侶の学校など、いくつもの建物が並ぶ。国民の9割以上が仏教徒のタイ王国では、男子は生涯に一度は出家することが望ましいとされており、男の子が一時期でもお寺に出家することは、「その家にとって福となる」という迷信がある。
出家するにしても、パークナム寺のように各式のある寺に学ぶことは、他の無数にある聞いたこともないような寺で出家するよりも、ずっと功徳があるように感じられ、かつ一般人に戻った後にも、「出家時代はパークナム寺にいた」と言えるステータスも手に入る。パークナム寺は「出家偏差値」も高そうな寺である。
さらに、パークナム寺の有名な「瞑想コース」には、女性の信者も多く詰めかけている。こちらも「瞑想コースに参加するのは基本無料だけれど、気持ちはお布施でね」という値付けなので、「お布施をするほど功徳を積める」という考え方の大乗仏教が主流のタイ王国。こうしたアクティビティも「ドル箱ビジネス」となっていることは容易に想像できるのであった。
本来、タイ王国では「仏教は国教ではない」ということになっている。しかし、王が絶対的な権力を未だ保持する「王国」であるタイであるが、「タイ国王は仏教徒である」という規定がある。信じているかは別として。
さらに、タイ王国で年度として用いられているのは、「仏暦」である。キリスト教の生誕からの西暦に543年足すと仏暦になるが、それら仏暦の年号が、人々の生活・企業組織・公共機関・学校・紙幣や通貨に至るまであらゆる所で使われている。ごく一部、タイ南部のイスラム教徒の多いエリアや、少数派のヒンズー教徒の人々に配慮し、「仏教国家ではない」と言っているが、「事実上は仏教がほぼ国教というジグザグ思考」なのも、タイ王国らしいといえよう。
次回、金満寺とはかけ離れた、「森の中のお寺」を紹介します。
仏教寺院にも色々ある
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