日本の新聞を読み比べ

 

 本日、228日をもって今年も2ヶ月が終了。一年の6分の一が経過。中華圏で春節を祝う習慣のある人たちにとっては、今年の春節は219日だったので、年が明けて少ししたころ。

 

 久々に日本の主要新聞(読売、朝日、産経、日経)を読み比べてみた。なんとも「顔の見えない紙面だな」という印象を受ける。それはつまり、新聞社の中で個性を主張してはいけない風潮があり、また読み手の側もそうした「個性を出される」よりも、「記者の顔の見えない淡々とした記事を受け入れてきた」という証左なのである。

 

 

 日経を除いた三紙は中学三年生の刺傷事件のことを大々的に報じており、日経はインドで鉄道のプロジェクトを日本が1.3兆円で受注することが濃厚だとする記事を一面に出していた。

 

 その他の紙面を読み比べてみても、リアルな紙という媒体に印刷された紙面の制限が大幅にあるためか、内容のある掘り下げた記事を読めるということは叶わず、ネット上であればインデックスか「チラ見」程度の内容の記事が、スーパーのお弁当のように盛り込まれているのであった。

 

 紙面の中で最も旧態依然として無駄だと感じたのは、株価の欄である。ある時点の株価を上場会社分数ページに渡って羅列してあるのは、目眩がするほどの資源の無駄遣いだと感じさせられた。この時代にあって新聞の株価欄の特定の会社だけをチェックしているという人はそう多くあるまい。まだ自分には全く関係のない広告欄でも見ていた方が心が安定するぐらいだ。

 

 情報技術の進歩は日進月歩であるが、「かつてのマス・メディアである新聞」とそこで働く人々の仕事の仕方は、どうやらそう変わっていないのかもしれない。

 

 日本に惰性で新聞を購読している人々がいなくなり、駅のキヨスクなどで新聞を購買するというスタイルが定着すると、今日の安定した購買数は瓦解し、本来の需要の数に近づく。その時になって、やっと日本の「かつてのマス・メディアである新聞」のカタチも変わってくるのであろうか。 

 

 

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