語学は「ある面で素直な人」が伸びやすい

 

 ベトナムの古都フエにて、日本へ渡航したいというベトナム人へのヒアリングを兼ね、日本語を勉強しているベトナム人の友人Tちゃんと再会し、1時間ばかり日本語を教えてきた。

 

 

 彼女とは、前回フエを訪問した時に町の食堂で「日本人ですか?」と4人組のグループに話しかけられ知り合ったのだが、それ以来、フェースブック上での知り合いという関係に過ぎなかった。

 

 今回、フエを再訪するということを何人かの友人に伝えると、「ぜひ再会しよう」と温かい言葉をかけてくれるのが、とてもベトナム人らしく素敵だなと感じた。また、日本語を勉強している友人Tちゃんには「日本語を教えてください」と請われていたので、「喜んで」と応えてあった。

 

古都フエにて一番大きいBigCスーパーの入る建物でもこのサイズ。4階にロッテ・シネマ。
古都フエにて一番大きいBigCスーパーの入る建物でもこのサイズ。4階にロッテ・シネマ。

 さて、実際に、とあるカフェにてTちゃんと再会し、彼女の日本語勉強ノートを見てみると、驚くほどに難しい日本語を学んでいることが分かった。Tちゃんは大学で3年間日本語を勉強しており、また仕事で2年間、日本の業務委託会社(BPO)で働いているのであるが、業務上使う日本語は「日本の医療機関で使われる専門用語」であった。彼女の日本語単語帳を覗いてみると、「下肢腫瘍症」だの「椎間板ヘルニア」だの、日本人でも「えーと、どう書くのだっけ?」と首をひねるような専門用語が並んでいた。

 

 こうした単語の漢字まで覚えているベトナム人の勤勉さに驚くと同時に、日本人の友人がいないというTちゃんの日本語の「実践力の乏しさ」にも驚かされた。彼女が話す短い日本語が、そのセンテンスが自分には理解できないのだ。

 

 Tちゃんは、難しい日本語の専門用語を日々学んでいるのだが、ナチュラルな日常会話を耳にする機会がないので、独自の「日本人に理解不能な日本語の文法」を形成してしまっていた。ベトナムの古都フエは、良くも悪くも「片田舎」であり、日本語に接する機会は少ない。旅行者としてやってきた日本人のガイドでもしているならまだしも、ベトナム人の恋人と過ごし、ベトナム人の友人たちとだけ交流しているTちゃんには、業務上は日本からのBPOで仕事をしていても、「日本人の使うナチュラルな日本語を耳にしていない」という大きな問題を抱えていた。

 

 また、ベトナム語と日本語以外の英語や中国語などの第3言語で意思疎通できれば、「それはこう言った方が良いよ」と話がスムーズに進むのであるが、Tちゃんは日本語以外の言語力が極めて低く、自分のベトナム語は「やっと言葉を話し始めた子供ぐらいのレベル」である。また、日本語のテキストなども持参していない。あるのは医療用語の自作の単語帳だけ。意思疎通の全ては、Tちゃんの独特な日本語の意味を自分が推し量れるかどうかに掛かっていた。わずか1時間が5時間ほどにも感じられた。

 

 結局、1時間の「にわか日本語指導」では、口頭表現の「修正」や、日本語単語帳の読み方の間違いの「指摘」、「す」の書き順の違いなどを「是正」してあげられたに過ぎず、あまり大きなインパクトを与えられるはずもなかった。

 

 「どうすれば、Tちゃんの日本語をより自然な表現にできるだろう」と考えた結果、「YouTubeなどで日本のニュースやドラマを観た方が良いかもしれないよ」と伝えておいた。

 

 真面目にコツコツと語学を勉強している人が、長年やっても語学が伸びないケースを目にする。かたや、あまり苦労せずに語学がするすると伸びていく人は、ネイティブの表現を「素直にそのまま吸収していく」人が多い。語学書を真似て膨大な時間をかけて単語帳を作ったり、使いもしない難解な言い回しを覚えたりするよりも、シリーズもののドラマや映画を楽しみながら観て、自然なヒアリング力を引き上げたり、やり取りの間合いを体得する方が実践に向いている。

 

 語学は「テキストを見て勉強しなければ」という先入観を捨て、「素直にネイティブの表現に慣れる」という習慣を持てるかどうかが、早い上達の鍵になるのではないだろうか。特に、日本語のように主語や目的語を明示せず、文脈で「主語と目的語」を推し量らなければならない言語においては、なおさら「ネイティブの関係性を見ながら話す表現」を「素直に吸収する」ことが肝要だ。

 

 英語や中国語のように、「I love you」と主語・動詞・目的語を明示する言語の方が、ある意味では学ぶのは易しい。日本語では主語と目的語を省き、動詞の「愛してる」しか言わない。「私はあなたを愛しています」とは言わない言語を異国の小さめの街で学ぶ難しさを感じた。

 

 


日本語、母国語でなければ難しい。