北京の空気汚染が深刻な根源的な理由

 

 ここ数日、北京の空気汚染がまた酷いようである。在北京の日本大使館からも在留邦人への警報アナウンスがメールで発信されている。幸い、自分は北京にいないのであるが、手元の携帯電話で「中国の空気汚染指数アプリ」を開けてみると、北京市の中心部の空気汚染指数が最大値の500を超えていることが分かった。人間のみならず、動物が住むのに適さない数値である。

 

 

 急速な経済発展と比例して、中国の環境汚染の度合いも急速に深刻化した。その根本的な理由はなんであろうか。それは、「中国人の公共心やモラルの欠如」に起因する。

 

 中国人にとって、掃除とは「自分の生活領域の中から、ゴミを外に出す」ことであり、それは年端もいかない学生からある程度人生経験を積んだ青年・中年・老人に至るまで貫かれている。「三つ子の魂百まで」というやつだ。

 

 

 大の大人が道端でゴミを平気でポイ捨てする光景は、中国大陸の至るところで見られる。痰を吐き散らす人を見ない日はない。子供連れの親が、子供の手にある自分の出したゴミを「汚いものを持っていないで、はやくその辺に捨てなさい」という光景もよく目にする。親が率先して子供に「自分の生活領域の外に自分の出したゴミを無闇に捨てる」ことを教えているのだ。

 

 

 中国の多くの大学では、学生は寮生活をしているが、その寮内の状況を見てみると、彼らの公共性の欠如の一端が垣間見られる。自分の机とベッドの周辺は「自分の生活領域の外にゴミを出して」綺麗にするが、他の学生との公共スペースである部分には、ゴミがずっと堆積している。一人っ子で大切に育てられた若者たちの頭には、「皆のために自分が汗をかいて公共スペースを綺麗にしよう」という考えは毛頭ない。

 

 そして、そうした感覚を持ったままの若者が大人になり、そのまま老人になる。渋滞中の車のアイドリングで空気を汚すことはなんとも思わない。平気で車窓からゴミを外に捨てる。それは「車内の自分の生活空間」ではない外へゴミを出すことは善であるからだ。トイレに連れて行かずとも、身内の子供の糞尿をその辺に撒き散らすことは何とも思わない。可愛い我が子の糞尿を「自分たちの生活領域の外に出すことは善」だからだ。

 

 

 中国大陸の大規模な工場からは、煤煙や汚水が工場外に垂れ流されているが、それも同じ理由だ。「自分の工場の外に汚染物質を出す」というのが、中国人の経営者にとっての「掃除」であるからだ。利益を削って、公共スペースに汚染物質を垂れ流すのを避ける費用は、無駄なコストにすぎない。その幾ばくかの費用で役人を買収し、公害垂れ流しに目をつむってもらう方が彼らにとっての善なのである。また、役人も中国大陸の公共空間を切り売りして「できるだけ賄賂を受け取り、手っ取り早く資産を築く」のが善なのだ。

 

 

 また、中国大陸から諸外国に有害物質が浮遊していくのも、彼らにとっては「どうでもいいこと」なのである。願わくば、全ての中国内の汚染物質を風に乗せて、水流に乗せて、自分たちの生活領域の外である諸外国に「吐き出してしまう」ことが、彼らにとっての「掃除」であるからだ。

 

 

 

 北京市の空気が特に悪い時期に、衛生局の政府高官が口にする理由が彼らの心理をよく表している。「ここ数日の北京は風が弱いので、汚染物質が流れていかず、空気が特に悪い」。つまり、「汚染物質がどこかに風で飛ばされていき、彼の地の空気を汚すのはどうでもよい」という考えであり、「自分たちの土地から汚染物質の排出を抑制すること大切」という考えではないのだ。

 

 中国大陸の環境汚染は、中国人の根本的な考え方の未熟さに起因しているのだ。

 

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偏った愛国教育では、中国は綺麗にならない