タイ王国で最も有名な世界遺産の街アユタヤ

 

 バンコクから北に80キロ弱行ったところに、世界遺産の街アユタヤはある。約800年前の1238年にタイ王国が発祥したのは、バンコクから北に440キロ、タイ北部南端の「幸福の夜明け」を意味する地、スコータイ。わずか113年後の1351年にアユタヤに遷都し、1767年にビルマ軍(ミャンマー軍)に破壊されるまで417年間、タイ王国の首都であった。今日では周知の通り、バンコクが首都となっている。

 蛇足になるが、タイ語でミャンマーのことを「パーマー」と呼ぶが、ミャンマー語で「パーマー」とは、「馬鹿」を意味するらしい。なんともタイ人らしい言葉遊びにも思える。今日では同じASEANに所属する国同士、タイ王国・ラオス・カンボジア・ミャンマーは仲良くしているかのように見えるが、この地に暮らす人々の深層心理の中には、過去から今日に至る歴史的な軋轢の「情報」が刷り込まれており、互いにどこかで蔑視しているのも事実だ。

 

 「国家の威信をかけた戦い」という地元の豪族たちの縄張り争いの結果として、隣接する国々は歴史的に負の記憶を有することが多い 。日中韓の歴史問題は言わずもがな、ロシア・ウクライナ、中東の宗教国、ドイツと近隣諸国、中越、日本に多大な責任のある南北朝鮮の分断、そしてタイ・ミャンマー・カンボジアもそのケースに入るだろう。

 

 タイ王国が発祥した北部スコータイの遺跡群も世界遺産だが、同じくアユタヤも世界遺産である。どちらにより趣があるかと言われれば、私はスコータイを挙げるが、観光客の多さでいうと、圧倒的にアユタヤに地の利がある。国際空港が二つもある首都バンコクに近いのだ。

 

かつてのアユタヤの復元模型
かつてのアユタヤの復元模型

 

 タイ人からすると腹が立つことに、ビルマ軍(ミャンマー軍)はアユタヤの街を激しく損壊した。今日残っているアユタヤの遺跡群は、繁栄していたアユタヤ王朝の頃と比べると、おそらく20%程度のものであろう。修復された仏塔や仏像を合わせてもその程度であるから、攻撃された後の街はさぞひどいことになっていただろう。アユタヤの仏像の首がほとんどないのも、ビルマ群の激しく執拗な攻撃の為かと思われる。有名なワット・マハータートの木の根に埋まる仏頭部は、自然に木の根に埋もれた神秘的なものではなく、紛争時に誰かが人為的に木の根の間に「突っ込んだ」のではないだろうか。

 

 

 車やバイクなどの足があると、アユタヤの街は半日もあれば観終わってしまうほどで、旅人の足を長く留めるほどのものはない。特に見所はないが、友人を連れるなどして、アユタヤにはかれこれ10回近く訪れている。アユタヤの街を見終わった後に胸に去来する感情に、いつも一抹の虚しさが漂うのは、ビルマ群によって破壊されたアユタヤ王朝の亡霊たちが耳元で囁きかけるからなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

中国語ではアユタヤを「大城(ダーチャン)」と呼ぶ