急速に変わりつつある「世界遺産の街マラッカ」

 

 マレーシアの古都であるマラッカ。今日、マレーシアの首都はクアラ・ルンプル(以下KL)であるが、首都KLは歴史の浅い街である。

 

 「マラッカ連邦」として1957年にイギリスから独立、1963年にシンガポール州、ボルネオのサバ州及びサラワク州の三州を加え、「マレーシア連邦」として成立。イギリスからの独立当初の名称にもある通り、「マラッカ」はこの地域の中心的な街であった歴史を持つ。

 マラッカのオランダ広場の側、丘の上に立つ聖ポール教会は、日本人にも馴染みの深いフランシスコ・ザビエル教会の近くにある教会である。1521年に建てられたという教会は、マレーシアで最も古い教会であるばかりでなく、東南アジアでも最も古いキリスト教系の教会であるという。

 

 このマラッカを代表する丘の上の聖ポール教会の墓標には、400年ほど時を経た1600年代のものが幾つも見られる。

 ザビエルが日本に来ることになったのは、マラッカに住んでいた日本人が訪日するよう働きかけたからでもあった。ザビエルの死後、この教会に一時期安置されたザビエルの遺体は、その後インドのゴアに移され埋葬される。

 

 マレーシアの首都KLの街を歩いても、古い建築物でもせいぜい築100年強の新しいものしかない。首都KLの一世紀程度の時間しか経ていない街並みと比べると、マラッカの旧市街の街並みには、マレーシアにしては珍しい「歴史の積み重なり」が感じられる街角がある。

 

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 世界との交易で栄えた港街マラッカは、中国から華僑が移住し、華人コミュニティーを形成し、当時、世界でも最も栄えた街の一つであったという。

 

 臙脂色に染められたオランダ広場にあるキリスト教会は、もともと白亜の教会であったそうだが、檳榔(びんろう)を噛み、唾をせっせと吐く華人の振る舞いにより、教会の壁が汚されることから、当時ここを植民地としたイギリス人が「檳榔の色を目立たなくさせるために臙脂色に塗った」という逸話を持つ。

 

 さて、マラッカと言えば、ジョンカー・ストリートの海南鶏飯(ハイナンジーファン)が有名であるが、ここの鶏飯は、なぜか「団子状に丸められている」という特徴を持つ。有名なチキンはジューシーで、さすがに美味いが、団子状に丸められた飯は、ぐっちゃりとした食感であり、「正直、この団子飯はどうにも残念な味だな」と思う人が少なくない。

 

 

 なぜマラッカの海南鶏飯には「丸い飯」が付くのか。これには諸説あるが、一説には「移民してきた華僑の貧しかった頃の名残」であるという。

 

 貧しい移民にとって「贅沢は敵」であり、美味しいからといってご飯を好き放題に食べることはできなかった。当然、家族の中でもご飯を食べる量は決められており、例えば「お父さんはご飯5つ、お母さんは4つ、子供達は3つずつ」といった具合に、ご飯を食べる量を丸い飯で測っていたという話だ。そうした華僑の風習の名残から、今日でもマラッカの海南鶏飯には「丸いご飯」がつきものであるらしい。

 

 

 マラッカの海南鶏飯の店は幾つもあるが、有名どころだと教会の前の橋を渡ったところにあるハードロックカフェの隣にある海南鶏飯がある。向かいには4階建ての大きなH&Mがオープンし、世界遺産の街マラッカの景観が着実に変わりつつあるのを嫌でも感じさせられる。

 

 

 マラッカの街の標語に、「Dont Mess with Melaka(マラッカをダメにするな)」というものがあるが、こうした政策標語を張り出している行政の経済重視の方針自体が、古き良きマラッカを最もダメにしている張本人というのが皮肉である。

 

 こうした(裏)金に目のくらんだ行政による「開発」により、損壊されてきたローカル文化は数え切れない。世界各地で見られる同様の「急激な開発による土着文化の破壊」という悲喜劇は、ここマラッカでも着実に進行しているようだ。

 

 どんなに不味くとも、「丸い飯」を出し続ける海南鶏飯の店が、頑なにマラッカの文化を守っている横で、行政と巨大資本によるローカル文化の破壊、グローバル・ブランドの侵食による土着文化の希薄化は今日も続いている。

 

 

 

マラッカの開発が止まらない