中国遼寧省丹東市: 北朝鮮を垣間見る遊覧船

  北京から夜行列車で中国遼寧省は丹東(ダンドン)の街へと入り、少し街歩きをした後、中国と北朝鮮とを隔てる河川である鴨緑江(ヤーリュージャン)にやってきました。今回もそこでのお話です。

 

 

 中国と北朝鮮の間を流れる鴨緑江には、両国の境界線となっているこの川を30分ほどかけて遊覧して周る「遊覧船」が運営されている。

 

 他所のなんでもない川であれば、50元の料金は割高であると感じるであろうが、ここは川向こうが「他国」という、「国家システム同士による手打ちの境界線」というやや特別な意味を持つ場所だ。

 

 中国大陸人であれば、日帰りの北朝鮮視察ツアーに容易に参加することができる。しかし、北朝鮮に渡航するビザを持たない各国の旅人にとって、ここで北朝鮮の領地へと近づける遊覧船は、 「北朝鮮に最も近づける数少ない手段の一つ」である。

 中国と北朝鮮の間にかかる鴨緑江橋は、1911年に日本の朝鮮総督府の鉄道局が建設したという。そして、第二次世界大戦後に発生した朝鮮戦争当時、1950年アメリカ軍の空爆によって断絶されたままになった。今日では主に、中国と北朝鮮の物資の運搬に使われている橋のすぐ横で、観光名所としてそのまま残されている。

 

 この橋の上を中国の丹東側から北朝鮮側に向け、30元ほどの入場料を払うと歩いていけるのであるが、北朝鮮側の陸地からやや遠い場所で橋は途切れているので、遊覧船の方が北朝鮮の陸地を「より近くまで垣間見に行く」には適した手段となっている。

 

 遊覧船に乗って鴨緑江の中間地点辺りに到達すると、北朝鮮の国境沿いの町シヌイジュと中国側の丹東との発展の差が、嫌が応にも際立って見える。イヌイジュ側は、経済発展の「け」の字もまだこれからという感じであるが、丹東の街には中高層のマンション群が建ち並ぶ。北朝鮮側の住民から見た丹東の街は、「煌びやかな大都会」に映ることだろう。

 

 実際のところ、丹東の街は「中国のなんでもない地方都市の一つ」に過ぎないのであるが、この川を挟んで圧倒的な経済力の差が浮き彫りとなっているのだ。

 遊覧船は、中北の中間地点を越え、北朝鮮の陸地に近い川面を静かに走る。橋の近くには、「子供騙し感満点の遊園地」らしきモノも目視できる。小さな観覧車、プールのウォーター・スライダーのようなもの。しかし、これらの遊具で遊ぶ人影がまるっきり見られない。どうやらこれらの施設は、北朝鮮の人々の遊園地というよりも、「中国側から注がれる視線のために、北朝鮮という国家がパラダイスであるのを演出するための装置」であるようだ。

 

 少しすると、北朝鮮の住民や軍人が、なにやら作業をしている姿も見えて来る。少し遠目で見ても、北朝鮮の人々は、まるで「中国の文化大革命の時期の人民服」のような出で立ちだ。遊覧船上の中国人たちも、「うわぁ、あれは文革時代の中国のようだ」と声を漏らす。

 彼ら北朝鮮の人々と直接話すことは、遊覧船の上からは難しい。少し距離のある遊覧船の上から、シヌイジュの人々の感情をなんとか読み取ろうとするが、人々はロボットのように感情の希薄な様子である。中国大陸の人々のように、無駄に大声で話したりしている様子もなく、常にどこかで監視されているような、あるいはお互いに監視しあっているような、拭い去れない怯えがあるようにも見受けらえる。ジョージ・オーウェルの『1984が頭をかすめる。

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 第二次世界大戦後、北側に侵攻したソ連がそこにとどまり、南側をアメリカがおさえた。ソ連の支援で「北朝鮮」が国家として樹立すると、アメリカの支援で南側は大韓民国として袂を分けた。

 

 朝鮮半島が南北に分断された原因の一端から、暴君による圧政へとつながっている悲劇、中国共産党が弱体化した国民党から大陸を奪い取れた背景、そのどちらの歴史にも「日本軍の侵略」が直接的・間接的にあったことは否めない。

 

 過去に日本が余計なことをしていなければ、今日のような「自国民の政府による圧政」も、ひょっとすると無かったのかもしれないと考えると、日本軍の残した爪痕の大きさに言葉を失う。「それは日本が負けて撤退した後に、ソ連や中国、アメリカが絡んで滅茶苦茶やってしまったからだ、日本のせいじゃない」とはどうしても思い切れない歴史がある。

 川向こうのロボットのような北朝鮮人民の暮らし振りが、どうにも他人事のように思えないのは、やはり自分の国籍が「日本人」であり、その日本という国家システムがかつて暴走した結果、今日にまで「負の連鎖反応」が続く地域があることを目の当たりにするからなのだ。

 

 

 遊覧船で鴨緑江を巡り、北朝鮮のロボットのような人々を垣間見ると、心に重い澱のようなモノが残されることが感じられる。

 

 東アジア諸国に「自己の間違った行為の反省はしないが、他人の瑕疵は孫や曽孫の代まで非難し続ける」という、いびつな自己正当化によってしかその存在価値を証明できない国家システムがそれぞれ根付いてしまった悲劇。その原因の一つに、やはり否定できない「かつての日本の国家システムの暴走」があったことが残念でならない。

「遊覧船」だが、色々と考えさせられる。

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