空港にて、イスラム教に勧誘される

 

 前回、少し「デュバイ。」について書いた。

 

 デュバイの空港は、人口320万人という都市国家のサイズに反して、巨大だ。世界最大の空港は北京の首都空港の第3ターミナルであるというが、北京の街は少なくとも2000万人都市である(近々、ザハ・ハディド氏の設計による南側の空港も開港予定)。

 

 人口が北京の約8分の1という規模のデュバイに着くと、やたらと歩かないとならない空港の巨大さがまず気になる。徒歩で利用する人々のことよりも、VIP待遇で空港の中まで車で移動できる人々の利用を考え、設計されているような趣なのである。安野光雅さんの絵本に、『おおきな もののすきな おうさま』という絵本があったが、あれを思い出した。

 さて、ドバイの空港では、そのサイズに比例して、免税店やカフェ・レストランの類は、そこそこに充実しているが、ショップで売られている物に「デュバイらしさ」を感じるものは、残念ながらほとんど無い。

 

 ここでは香港の空港同様、諸外国の有名ブランドなどの商品が売られている。いやむしろ、「デュバイらしさ」のあるものがほとんど無いのが、「逆説的にデュバイらしい」のかもしれない。

 

 というのも、デュバイには奇想天外な高層ビル群、発達した金融業など以外には、特に長い期間かけて育てられてきた地場産業や特産物、土着の文化が無いのである。「らくだ」や「真珠」は他の国でも見ることができるし、空港で乗客に「石油」を売るわけにもいかない。

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 ある日、デュバイからヨーロッパへと飛ぶ前に、カフェで休んでいると、ムスリムの男性に話しかけられた。彼の名を仮に「モハメド」としておこう。ベタだが。彼はなんでも南アフリカ圏の国からデュバイに出張でよく来ているらしいのだが、最初は当たり障りのない話をしていたものの、いつのまにか「イスラム教」の話に及んでいた。

 

 意気投合して話が弾んだのはよいが、「ちょっと飲みに行こうか?」ぐらいのノリで、「ユー、ムスリムになっちゃいなよ!」と言われても、なかなかに困る。

 以前、トルコ中部のカッパドキアにあるイスラム教のモスクのお祈りに、見学がてら周囲のムスリム男性の礼拝の様子を見よう見まねで参加した時にも、ムスリムの男性から「イスラム教に改心しなよ。君はお祈りの流れもいい筋しているよ。イスラム教はいいよ。」と勧誘されたことがある。そこで「はい、そうですね。ではひとつ今日からイスラム教に。」とカジュアルにムスリムになる訳にもいかない。

 

 イスラム教は基本的に、「一度入信したら出られない規律」になっているらしく、「どうも合わないので、やっぱりやめます」と、中高の部活動を辞めるようにはいかないのだそうだ。その割に、随分気軽に誘ってくる。

 

 また、戒律も厳しく、一日に五回のお祈りの時間(あれは体に良さそうだが)があり、お酒を飲むこともできなくなる。定期的に断食の期間があるのは、身体に良さそうではあるけれど。(インドネシアのムスリムの友人は、ラマダンを「集団フィスティング」と呼んでいた。なるほど、確かにね。)

 モハメドのように見た目から「キャラ立ちした奴らとつるむ」のは楽しそうではあるが、しょっちゅうイスラム教の話ばかりを仲間内でするのは肩が凝りそうなので、自分はまだ特定の宗教に帰依する気にならない。

 これまでヒンドゥー教・仏教・キリスト教・イスラム教と色々と誘われることがあったが、いまだになんとなくやり過ごしている。彼ら巨大宗教には、マニュアル化された勧誘の方法論があるので、個人で理論武装してやり過ごすのは難しい。

 

 クラゲのように「ゆらゆら」としてやり過ごすのが良いのだろう。彼らと正面からぶつからず、「かわいそうに、こいつはバカなのだ」と思われているぐらいが、ビジネスとしての巨大宗教が蠢くこの世界で生き抜く為の処世スキルとして、調度良いのかもしれない。

 

自分なりの信念を持っていれば良い。