しばしばインドネシア化する香港の公園

 

  イギリスの植民地時代を経た香港は、日本よりも外国人ワーカーの受け入れを積極的に行ってきた。そもそも、中国の一地方である小さな漁村や港町から急激に発展した地域なので、移民が多く行き来することに対し、抵抗が少ない土壌があるのだろう。

 

 それにしても、ここ数年の香港では、中国でありながら、ASEANの風が吹いているかのように思える。かつては英語の使えるフィリピン人の家政婦さんやブルー・カラーの人々が多かったが、ここ数年で急激に英語のそううまくない、まして中国語などほとんどできないインドネシア人女性の労働者が多く見られるようになった。

 物価の高い香港において、彼女たちの休日の過ごし方の一つに、「街中で友人たちとピクニックをして過ごす」という形態が目につく。かつて「ここはリトル・マニラか」という様相を呈した、フィリピン人女性たちの憩いの場と化した九龍公園にも、最近では「リトル・ジャカルタ」の波が確実に押し寄せている。

 

 ニューヨークの「リトル・イタリー」があれよという間に「膨張するチャイナ・タウン」に侵食され、みるみる「本当に小さなリトル・イタリー」となっていったように、頭髪を隠すヒジャブをしたインドネシアのムスリム女性たちは、気の良さそうなフィリピン人女性たちを脇に追いやるようにして、集団で食材などを持ち寄り、ゴザを敷き座り込み、その場を占拠する光景が多く見られるようになった。

 インドネシアのムスリム女性には、頭髪を隠すヒジャブすら身につけない、割と戒律の縛りのゆるい「なんちゃってムスリム」も多く見られる。こうしたヒジャブで識別できないインドネシアのムスリム女性を合わせると、大変な数のインドネシア女性が香港で働き、たまの休みや週末には友人同士で公園に集い、朝から晩まで談笑し、踊り、歌い、食事を楽しんでいる光景が見られる。中にはコーランをマイクを使って読経しているムスリム女性もいる。

 

 フィリピン人女性たちが割と軽い手荷物で公園に集うのに対して、インドネシア人女性のそれは、やや大仰である 。数日の旅に出るかのようなキャリー式のスーツ・ケースに手荷物を入れて持ち歩き、気に入った公園や公共施設、見晴らしの良い歩道橋、休日で閉まっている大手銀行や政府施設前の広場などに、ダンボールで区画をもうけ、勝手に「友人たちとのプライベート空間」を設営しているのだ。強者になるとテントを持ち込んでいる者までいる。

 日本では、こうした「ダンボール」や「テント」で公共空間を「個人空間に区切る」のは、ホームレスの人々であることが多いのだが、香港に出稼ぎに来ている低所得層のインドネシア人女性たちの余暇の過ごし方には、このスタイルが「一つの定番」として、定着しつつあるようだ。少なくとも、多くの人々の目につきやすい場所にて、彼女たちは嬉々として「空間をもぎ取ること」に成功している。

 

 今日では700万人を超す人口を抱える香港ではあるが、ほんの150年前には人口6000人ほどの小さな漁村であった。大陸からの移民で出来上がった地域であり、香港には古くからの「由緒ただしき香港人」という人はほとんど存在しない。ほぼ皆が「大陸からの出稼ぎ移民の末裔」である香港人は、マンションの一部屋に何十人も住んでいた九龍城のように、かつては貧しい移民であった。

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 同じように香港により良い生活を求め、あるいはより良い生活へのステップを求めやって来たフィリピン人女性やインドネシア人女性たちのことを、香港人は空気でも見るかのように、「自然なこと」として受け入れている人が多いようだ。これが日本の主要な公園や公共施設であれば、露骨に眉をしかめる人が多いことだろう。しかし、こうした「短期的に文化的な差異が顕在すること」は、国際化した都市ではまま起きることなのである。

 

 いずれ日本でも、「インドネシア人女性の公園占拠」が見られるようになれば、「いよいよ国際化してきたな」という一つのバロメーターになるのかもしれない。

 

 

 

 

混沌としていて面白い