東京紅葉散歩 その弐(靖国神社)

 

前回「東京紅葉散歩 その壱(飯田橋〜靖国神社)」からの続きです。

 

靖国神社の大鳥居の下をくぐる時、「異世界に入る」ような気が少しする。大鳥居への坂道、そして身体感覚からしてずっと巨大な建造物を目の当たりにすると、人間は「大きなもの」の存在を否応なしに感じさせられる。ここはそのように設計されているのであろう。

 

多くの西欧の教会が闇雲に巨大であったり、仏教国のミャンマーの寺院や仏像が、その国力とは明らかに不釣り合いに巨大なのは、「大きなものを感じさせる」という宗教上の狙いがあるからに他ならない。これが分相応にコンパクトにまとまっていたならば、宗教や寺院の持つ権威は、相対的に今日のそれよりも小さなものになっていただろう。

靖国神社の起源は、明治天皇によって建てられた靖国神社の前身の「招魂社」に遡る。招魂社とは、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く構成に伝えること」を目的に創建された祠であった。

 

実は、オリジナルの招魂社の跡が、今日の靖国神社本堂のそばにひっそりと残っていることを知った。靖国神社本堂の外を参観した後、北の丸公園へと向かおうと神社をでかかったところに、何やらより古い霊気が漂うような場所を目にしたのである。

 

ここがどんな場所なのか、説明をする案内板もなく、ただ立ち入り禁止の柵のある区画の奥に、静謐な空気を抱く一角。少し写真を撮っていると、警備の方が話しかけてくださり、「実はあそこが本来の招魂社の跡」だと教えてくださった。

 

招魂社の案内は、靖国神社のホームページにもあるが、そのオリジナルの場所がどこだかは直接的には触れられていない。

ダウンロード
靖国神社のパンフレット:公式H Pより
yasukuni_shiori_ja.pdf
PDFファイル 5.3 MB

 

警備の方の話では、現在の招魂社は元々の招魂社の場所から靖国神社を挟み、向かい側の駐車場の方に移設されているということである(靖国神社のパンフレットにある「招魂斎庭」がそれであろう)。しかし、元々の「招魂社」はこちらにあった(ある)ので、その神々しい空気がまだそこには漂っていた。

 

 

靖国神社の案内図には、「④元宮」とあるのが本来の招魂社であり、「⑤鎮霊社」と対になっている。靖国通りからだと、南門を入ってすぐ左手に静かに鎮座しているのが招魂社(元宮)と「世界中の戦争で亡くなった人々を慰める鎮霊社」である。

 

 

今日の靖国神社には、国(日本)の為に亡くなった御霊(神霊)が2466千余柱祀られている。しかし、その歴史を紐解くと明治天皇が京都から運ばせた元々の招魂社、さらに、その隣にある鎮霊社には、「世界中の戦没者」が祀られているので、その数は数千万から数億柱もの御霊ということになる。

 

靖国神社が「国家のために亡くなられた2466千余の御霊」を祀るナショナリストな神社であるのに対し、その一角に遥かに多い数の「靖国神社で祀られている以外の、その他日本を含めた世界中の戦没者」を祀るグローバルな視点の「鎮霊社」があることを知れたのは、今回の靖国参拝による大きな収穫であった。

 

次回から靖国神社を訪れる際、私にとっては「鎮霊社への理解の深化」が主目的になるだろう。

 

 

先の大戦(第二次世界大戦)では、日本人の戦没者数は約310万人と言われている。その中で、軍属の戦没者数は230万人とされているが、戦争で「戦って死んだ」いわゆる「名誉の戦死」は、その内のわずか40%弱であるという。実のところは、戦線で食糧補給がされないために餓死した兵士が過半数以上、140万人であったという。さらには戦争指導者の無謀な作戦の結果、連合軍の攻撃による日本兵の海上輸送船の沈没で、陸軍だけで20万人が「溺死」しているという。

 

今日の新型コロナの日本における蔓延、そこでの「国家中枢にいる人々」の出鱈目な対応を目にし、靖国神社に祀られている御霊は何を思うのであろうか。

 

「ウィルスには効果がない布マスク」に血税を注ぐ政治家、「日本は民度が高いから大丈夫」と意味不明なことをいう歪んだ口の政治家、「イソジンでパッと消える」とうそぶく政治家、「神のみぞ知る」と自分の仕事を放棄して曰う政治家。キャッチコピーだけ次から次に繰り出す政治家。「敗戦から75年経っても、我が祖国は全く変わらねえなァ」と、草葉の陰でため息をついているのではないだろうか。

 

 

「東京紅葉散歩 その参(北の丸公園)」に続きます。

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