ミャンマー:バガンの寺院に日本占領下のビルマを垣間見る

  

前回のブログ「バガン最大の寺院で想うブッダの神秘」からの続きです。

 

 

ミャンマーの話、特にマンダレー地区、そしてバガンの話は「寺の話ばかりだな」という気がするかもしれない。それもそのはず、「バガンに何があるか」と問われれば、「寺と仏塔」という答えざる得ないほど、もう本当にそれしかないのである。

 

そして、今回もまた寺とそれに付随する話です。

 

オールド・バガンとニャウンウーの町の間ぐらいの場所に、ティーローミンロー寺院はある。メイン・ロード(バガン・ニャウンウー・ロード)の側にあるので、割と容易にアクセスすることができる寺院である。1218年に時の王であるティーローミンロー王が建てたと言われるこの寺院により、この王は800年経った今もその名を残している。

 

13世紀当時、3階建ての建造物というのはかなり珍しく、また当時の人々からすると途方もなく高い建造物に思えたことだろう。46メートルという高さは、現代人からすると「まぁ、そう驚くほどもなく、普通かな」というものだが、800年前の人々にとっては「ブッダの恩寵と王の威厳」を感じられる場所であったに違いない。

ティーローミンロー寺院の看板がある場所に、首長族の女性が二人、休憩というわけでもなく、やや商売がかった雰囲気でそこにいたので、首長族を見慣れない旅人ローゼンと私はすぐにそこに吸い寄せられてしまった。

 

せっかくなので、首長族の女性たちがいた看板からすぐ先にある寺院にも寄ってみると、三層の寺院にいくつもの仏塔を備えるティーローミンロー寺院の美しい姿が目に入った。

 

院内に入ると、金色に輝く仏像、そして気持ちよさそうにブッダの前で昼寝をする係のおじさんがいた。院内にある幾つかの仏像を見終わってしまうと、もうあとはすることがない。

 

ティーローミンロー寺院の全景が写真に収められるようになっている場所に、土産物売りの女性たちが数人いた。売られているものそれぞれの造形はそれなりに興味深いが、妥当な値段がいくらぐらいのものなのか、まだ物価の感覚が掴めない内なのと、身軽な旅を信条とするローゼンと私は、ただ売り子の女性たちと簡単な会話をして楽しんだ。

 

 

夕日に染まるティーローミンロー寺院は美しく、またその寺院を背景に写真に収まってくれた売り子の女性たちも純朴そうで好感が持てた。少し高台になった場所からバガンの景色を眺めると、本当にこの地には「仏塔と寺院が山ほどあるのだな」と確認でき、また「仏塔と寺院以外には、特に何もないのだな」ということもよく分かった。

 

 

お土産物の中に、第二次対戦中、ビルマを日本が占領していた当時のものらしき日本政府が発行したルピー紙幣があった。紙幣に描かれた肖像画は、詰襟の軍服を着た兵士や将校のような人々の顔であった。本物なのかどうなのか、判別するだけの鑑識眼がないので、その場を後にしたが、あれはひょっとすると、とても珍しく価値のあるお札であったのかもしれない。

 

 

私が日本人であると知っても、物売りの女性たちは暖かい雰囲気を崩さないでくれた。また、何を買うわけでもない冷やかしの旅人二人組の求めにも応え、写真にも気さくに収まってくれた。これがお隣のタイ王国であれば、「フォト・マネー、フォト・マネー」とお金を無心されるところであるが、そうしたこともない。彼女たちが売っていた三日月の上に釣り人が乗った木彫りのお土産に、なんとなく雰囲気の似た売り子の女性は元気にしているだろうか。

 

 

次のブログ「バガン地区ニャウンウーの市場へ」に続けます。

 

ミャンマー軍のテロ活動が止まない。

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