ミャンマー:現地のとあるバス事情を目にして

 

前回のブログ「背の高い仏塔から眺める夕日の美しさからの続きです。

 

 

バガン地区で最も高さのある仏塔、シュウェサンドー仏塔(Shwesandaw Pagoda)にて夕日を楽しんだ後、宿へと帰路に着く。夕日を瞼の裏に焼き付け、一日の終わりをしっかり感じると、人生の終わりも意識し、やや物悲しい気持ちにもなる。いよいよ明日にはバガンを後にし、湖上生活をしている家屋が多くあることで有名な「インレー湖」へとバスで移動することにしていた。この旅でバガンで過ごす夜も最後となった。

 

さて、ミャンマーでの中長距離のバス移動は、この時が初めてであるが、そこはミャンマーなので「先進国では起きないことが普通に起きる」ことが予想された。バガンのとある寺院の前でも、乗合バスを目にした折り、満員の乗合バスの屋根の上に僧侶が二人乗っているのを見て、「そうか、ここには隣国インドやバングラデシュのノリがあるのだな」と「近隣国の文化の相似」に想いを馳せたのであった。

ミャンマー人の多くは「敬虔な仏教徒」である(ということになっている)が、出家して仏僧の出立ちでいると、それ以前にどんな悪行を積んできた人々でも、ミャンマーにおいては敬われる対象と早変わりする。たとえ乗合バスが満席であっても、おそらく無料で乗合バスの屋根の上に乗せて移動させてもらうことぐらいは、「仏僧の特典」としてあるのだろう。

 

本来、仏教の戒律には「気を乱すので、異性に触れてはいけない」という教えがあるというが、ミャンマーの仏僧の多くが普通に恋人がいるというので、そういう戒律の面は緩いようである。おそらく、「異性に触れないため」に乗合バスの内部に乗車せず、「異性に触れたくても触れられない吹きさらしの屋根」の上に「仏僧の優先席」があるわけではないのだ。

 

 

運転手や乗合バスを運行している会社からすると、仏僧をただでも屋根の上に乗せて運んであげるだけで、仏教的な功徳を積んでいるということになるのだろう。また仏僧パワーによって、「バスが災厄から守られるという神秘的な力も働くかも、ラッキー」とどこかで信じているのかも知れない。乗合バスの中に乗車しているミャンマーの人々も、「屋根に仏僧を乗せているのだ、このバスは安全だ」と妙な信心を持っているかも知れない。

 

 

次のブログ「ミャンマー:さようならバガン、また逢う日まで。」に続けます。

 

道が凸凹なので、振り落とされないか心配。

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