ミャンマー:ニャウンウーの由緒ある古仏塔

 

前回のブログ「ミャンマー:地元民の笑顔の写真の撮り方」からの続きです。

 

 

さて、宿の近所にありたまたま目に入ったので訪問した「シュウェジィーゴン(砂金の河岸)仏塔」の入口で、ミャンマー人のグループ参拝客との写真撮影を済ませ、いよいよ境内へと歩みを進める。

 

 

旅人ローゼンと私がバガンで宿を取ったのは、正確には「バガン」という地名ではなく、お隣の「ニャウンウー」というエリアになるが、一般的にはこのエリアも含めて「バガン」と人々には認識されている。地元民にはもう少し厳格に「バガン」と「ニャウンウー」とで別の地名として考えられているかもしれないが、ミャンマーの他所の地から来た人々や、異国からの訪問者には、「バガンもニャウンウーも一緒くた」という人が少なくない。実の所、旅人ローゼンも私も、この「ニャウンウー」にいる間も、「自分たちはバガンにいるのだ」と思い込んでいたほどだ。

 

さて、そのニャウンウーでたまたまリクシャーに連れてこられて投宿した宿のすぐそばに、バガン地区で初めて訪れた仏塔・寺院である「シュウェジィーゴン仏塔」があった訳である。バガン地区を訪れる前からこの仏塔の存在を知っていたわけではなく、「たまたま投宿した宿の近くにあって、仏塔の先端が見えていたので最初に立ち寄ってみた」という、なんとも行き当たりばったりな理由での訪問であったが、このシュウェジィーゴン仏塔は、バガン地区の中でも「相当に由緒正しき仏塔」であった。

シュウェジィーゴン仏塔の基礎の建造は、1059年(11世紀)に始まったとされ、なんと1000年近くもの歴史を有する仏塔であった。旅人ローゼンと私が偶然に乗り合わせていた飛行機は、タイ王国のバンコクからマンダレーへと飛んだ便であったが、そのタイ王国の歴史ですら、スコータイ王朝の頃から数えても800年余りである。

 

ASEAN10カ国のうち、マレーシアやシンガポールは国として成立したのが五、六十年、その他の国々は他国の占領下にあった期間が長く、国家としてしっかり独立した歴史は古くない。そう考えていくと、シュウェジィーゴン仏塔の持つ歴史の重みが、東南アジアの中においては格別なものであることが分かってくる。バガン地区を訪れる前に立ち寄ったマンダレー、アマラプラ、インワ、そしてサガインの王朝があった地域でも、古い遺跡でも14世紀のものであった。11世紀に建造が始まったこの「シュウェジィーゴン仏塔」の足元にも及ばないのが分かるだろう。

 

 

ここを訪れた後に知ったのだが、このシュウェジィーゴン仏塔のスタイルが「バガンのアーナンダ寺院」と並び、バガン地区にある3000もの仏塔や寺院のスタイルの最重要な原型の一つとなっているほどである。かつてこの地域に存在した「パガン王朝」の正式なビルマ式パゴダ(仏塔)型で建てられている仏塔なのだそうだ。

 

 

さらに、伝説によれば仏塔の中にはブッダの歯(仏歯)と骨(仏舎利)が奉納されているという。仏教寺院の多くにこうした言い伝えがあるが、このシュウェジィーゴン仏塔の場合は、その歴史も踏まえると、「そんなこともあるかもしれないし、ないかもしれない」と思えてくる。

 

釈迦の生誕はキリスト教のイエス・キリストよりも、543年前とされている。2021年に543年を足した2564年が仏暦の2021年であるが、シュウェジィーゴン仏塔の起工が1059年というと、ずっと昔という印象があるものの、釈迦が生まれ入滅したのはその1500年ぐらい前になるので、本当に仏歯や仏舎利がここに奉納されているかどうかは、「あとは想像にお任せする」とだけ言っておこう。

 

 

 

次のブログ「気軽に夜の仏塔が拝めるニャウンウー」に続けます。

「黄金の祝福された土地」という意味も

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