ミャンマー:バガンが暫く世界遺産にならなかった理由

 

前回のブログ「バガンの川沿いのコロコロ丸い仏塔」からの続きです。

 

ミャンマーにはUNESCOの世界遺産に登録されているサイトが二つある。どちらも世界文化遺産であるが、2014年に登録されたマンダレー、バゴーなどに散らばる「古代のピュー市街」、そして2019年に登録された「バガンの歴史地区」である。

 

http://whc.unesco.org/en/statesparties/mm/

 

2013年にバガンを訪れた際に、荒原に無数にある仏塔や寺院の景色を前に、「なぜこの地が世界遺産に選ばれないのだろう」と感じたものだが、それから6年ほどしてやっとのことで「世界文化遺産」に登録された。

 

「バガンが世界遺産になかなか登録されなかった」のには、ミャンマーらしい理由があった。それは、「1970年代と1990年代にバガンの多くの遺跡において行われた修復作業が、あまりに時代考証を欠いた修復であった」ためである。噛み砕いていうと、「ユネスコ基準で見ると、遺跡の修復があまりに適当なやっつけ仕事だった」のである。

 

 

2013年から2020年にかけ、都合5回ばかりミャンマーを訪れたが、北部・中部・南部・最南部のどこの土地においても、割と古い仏塔や寺院を訪れる機会があった。そして、そのどこにおいても言えることであるが、「メンテナンスが悪く、補修してある箇所は素人目にもやっつけ仕事」なのが分かるのが、ミャンマーの多くの文化遺産に当てはまる悲しいところであった。

 

UNESCOとしても、2019年にバガンを登録するかどうかには、逡巡があったことであろう。しかし、「このまま世界遺産に登録しないでおいたら、ミャンマーのバガンはさらに荒廃したり、出鱈目に修復されたりしてしまう」と危惧し、「元々の仏塔や寺院の真正な形状や状態ではないけれど、かつての大変な文化遺産の残る場所」という具合に選択基準を緩和し、世界文化遺産に登録されたのである。

 

ミャンマーにあるもう一つの「古代のピュー市街」の遺跡においては、ほとんど土台しか残っていない遺跡群であり、ミャンマー人にとっても「修復のやっつけ仕事すらしないほど壊れていた」ので、「オリジナルの遺構」に近いため、2019年に世界文化遺産に登録された「バガン」よりも一足早く、2014年に世界文化遺産に登録されている。

 

 

202121日からの軍事クーデターにより、前年のコロナ禍で始まった「一過性の鎖国」が、北朝鮮のように「中長期的な鎖国」になりかねない情勢となっている。当然、観光客は激減し、経済はズタズタになってきており、文化遺産の保全保護に予算が回せなくなることは目に見えているので、ミャンマーの文化遺産にとっても、「一部の軍トップの老人たちの我儘で始まった軍事クーデターは、何一つ良いことがない」という結果になりそうだ。

 

 

 

次のブログに続けます。

 

基礎研究や技術力、資金もないので

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