ミャンマー:道すがらの軍部の検問所

 

前回のブログ「マンダレーの昔日を偲ぶ」からの続きです。

 

 

ジープ・ツアーの三箇所目の訪問先は、古き美しき木造建築のシュエナンドー僧院(Shwenandaw Monesteryから、市の中心部へ向かい堀を渡った向かい側のミャンマー最後の王朝があった「王宮」であった。

 

王宮跡へと向かう道すがら、軍の検問所を通過する。2013年の時点では、民主化へ向けて舵を取り始めたミャンマーにおいて、軍人の姿を見てもそう張り詰めたムードはなく、ただ単に「あ、軍人だ」という程度の雰囲気であった。

 

我々の乗るジープににこやかに近寄ってくる軍人には、敵意が感じられない。それはただ単に、「カモネギが来た」という意識で、金を徴収するために近寄ってきたのかもしれないが、2013年当時には、まだ2021年の今日の凄惨なミャンマーの状況を予見するだけの影は見られなかった。

 

彼ら関所を構える軍人は、ミャンマーの道路の要所要所において、車で往来する車両から「交通料」を徴収し、それを財源にミャンマーの酷く凸凹な道を良くしたり、さまざまな管理をしているという名目の仕事をしているようである。自転車やバイクからは交通料を徴収しているのを見たことはなく、あくまで「車やトラック」といった四輪の車輌から徴収しているようであった。

 

しかし、いくら待てどもミャンマーの道の路面状況は改善されず、それは202121日のクーデターが起きるまで、そう大きく変わっていないようだ。つまり、彼らが徴収した「交通料」とは、あくまでそこを通る「車に乗れる境遇にある人たち」のお金が、彼ら「軍部のポケットに移行するだけのもの」であったようである。

 

202121日以降、ミャンマー情勢は急激に変化し、非武装の市民への銃火器の発砲・虐殺、なにも過激なことをしていないにも関わらず軍に連行され、ひどい拷問・虐待を受ける人々が数千人単位で報告されている。中には連行された後に、家族の元に遺体で返ってくる人も少なくない。軍に虐殺された人の中には、そのまま遺体を埋めて隠されたり、燃やして廃棄された人々も少なくないという。

 

武器を持たない市民は、傍若無人な軍部の行いに対して、まず平和的なデモとインターネット上の言論による戦いを始めていたが、世界中に自らの悪行が伝わることを嫌った軍はインターネットを遮断し、街にいる人々を虐殺して周るなど、言論の封鎖、虐待や虐殺の強化をしているのが確かなようだ。

 

そうこうしている間にも、日本人の現地で活動しているジャーナリストが軍に連行され、訴追を受けているという。なんでもインターネット上に「誤情報」を流したという過度で訴えられているということだが、彼の伝えていたネット情報を見る限り、それは「軍による言いがかり」以外の何物でもなく、「ミャンマー軍に太いパイプを持つ」と自画自賛する日本政府(自民党・公明党)は、すぐさま邦人の開放に向けて、その「太いパイプ」を活かすべきであろう。

 

昨今、日本政府(自民党・公明党)の言うことや能力が、「ただの無知無能な夜郎自大」という事が全方位で結果として露呈しつつあるが、「たまにはまともに仕事をすることもある」という所を見せて欲しいものである。

 

 

次のブログ「やがて哀しき王宮跡」に続けます。

 

たまにはまともな仕事ぶりを見せて欲しい

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