前回のブログ「ミャンマー:やがて哀しき王宮跡」からの続きです。
ジープ・ツアーの三箇所目の「王宮跡」から出発し、ツアー四箇所目の目的地である「マハムニ寺院」へとやってきた。ここは王宮から南西に6キロほどの場所にある。ミャンマーの仏教界でも大変に高位の仏像が本尊としてある寺院である。

マハムニ寺院は、マンダレーにおいて最大規模の寺院であるというが、ミャンマーにおいて大きな寺院や仏塔は、実の所各地にある。マハムニ寺院を有名にしているのは、ここに納められた本尊である「マハムニ仏」である。

なんでも、疾患のある人々が、マハムニ仏の自分の疾患と同じ部位を撫でると、その症状が改善するという言い伝えがあるという。「ただ触る」という行為がさらに発展して、マハムニ仏の体に金箔を貼り付け、仏像の部位を撫で、熱心に祈りを捧げる人や病人の家族が多いのだそうだ。

さて、マハムニ仏に近づき、触れることのできるのは「男性のみ」である。タイやミャンマーでは、女性は男性の僧侶に触れることが禁じられているが、色欲を誘発するような異性に触れ、煩悩にまみれることを良しとしないからなのであろう。
また、女性には生理があるので、それを汚れと見る古い考え方もある。みなその汚れのお陰で生まれてくることができているのであるが、マハムニ仏においては、この本尊を女性が触れることはおろか、至近距離に近づくことさえ許されていないようであった。
実際にマハムニ仏に病気や疾病の治癒のご利益があるのかどうか、マハムニ仏になにも祈らず、なにも求めなかった自分には分からない。しかし、このマハムニ寺院に訪れ、藁にもすがる思いで「マハムニ仏の救い」を求めるそれぞれの事情を抱えた人々の祈りはリアルであり、むしろそちらの方に大きな情念の力を感じたのであった。
祈るという行為は、たとえ自分が信心のない宗教の寺院や教会・モスクに行っても、その信者の祈る姿は美しいと感じる。
ここに収められるマハムニ仏は、「釈迦が息を吹きかけた」とも伝えられているそうだ。釈迦の生存中、文字を持たないサンスクリット語は仏典を残さなかった。また、釈迦は偶像崇拝につながるので仏像も残さなかったと物の本で読んだ。釈迦が入滅し、数百年経った後に、西アジアの造形の得意な民族が仏像を作り始めたという。そうした歴史背景を考えると、「釈迦が息を吹きかけた仏像」がこうして現存するのは、時代考証的にも眉唾な気がするのは自分だけであろうか。
次のブログ「サガイン地区でのランチ休憩」に続けます。
みなの祈りが適度に叶いますよう
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