ミャンマー・マンダレーと中国北京の類似性

 

前回のブログ「マンダレー:ミャンマーの可愛い子供たち」からの続きです。

 

 

宿のすぐ近くで現地の子供達の可愛らしさにすっかり魅了され、心が浮き足立ってくる。

 

旅人ローゼンと共に、「これからどこを観に行こうか?」と話しながら、宿で見たマップを頭の中で反芻する。「そういえば、王宮の北側にマンダレー・ヒル(丘)があった。あそこに登って、街を一望してみたらどうかな」と話がまとまり、いざ丘を目指すことに。

 

マンダレーはミャンマー最後の王朝のあった都市である。街の中心には王宮跡がある。宿から王宮までは数ブロック、歩いても到達できる距離であることが分かり、数ブロック歩いてみることにした。

 

ほんの数ブロックの途上、下校時間の子供たちの群れ、路上に出ている屋台を冷やかし、街中の素朴な人々を写真に収め、次々に現れる興味深いものに目を引かれつつ王宮の堀まで辿り着いた。「このまま歩いて行ったら、何かと時間を食って、日没までに間に合わないかもな」ということになり、徒歩以外の移動手段を考える。

 

 

ローカルの路線バスや乗合バンに乗ってもみたいものだが、土地勘が無いのと運行路線が分からないのとで、いきなりの公共交通は難しそうだ。言葉も通じる人と通じない人の落差が激しい。目の前を通過していく乗合バンの乗車率の高さにも、興味を覚えつつやや怯む。

 

2013年当時、ミャンマー第二の都市であるマンダレーにおいても、街中に交通信号はあまりみられなかった。当時はまだ車の交通量が少なく、歩行者も好き勝手に道を横断するというミャンマー特有の事情も健在で、「事故になったらなったで仕方ないけれど、みんなでなんとか譲り合っていこうよ」的な長閑さがあった。

 

しかし、実の所、車やバイクは歩行者を待たずに道を突進していくし、歩行者の方も車を逆に止めるような勢いで道を横断したり、凸凹な歩道ではなく舗装された車道の方を車と並んで歩いていたりする。初めてミャンマーを訪れた異邦人には、ただそこでミャンマーの人々が普段通りに生活をしているだけで、興味の尽きない光景が広がっていた。

 

すると、そこに二人の移動の足の必要性を感じ取ったが如く、バイク・タクシーが滑り込んでくる。すぐに料金交渉も成立し、2台のバイク・タクシーの後部座席に分乗、マンダレー・ヒルの麓まで王宮の外濠の周囲を時計回りに疾走する。

 

お堀端をまっすぐ北上し、北側の路地に来て右折する。やや人気のなくなった所、道の左手に「マンダレー・ヒル・リゾート」というホテルを目にし、ここがもう丘のすぐ近くなのだと分かる。

 

 

マンダレー・ヒル・リゾート・ホテルから少し行ったところで、マンダレー・ヒルの麓の入口に到着する。二頭の白い獅子のような像があり、分かりやすい。さらにバイクで丘の中腹まで登っていくこともできるようであったが、どうせなら麓から歩いて登っていこうということになり、この場所でバイク・タクシーに支払いを済ませ、彼らの任を解く。マンダレーを訪れる人の多くが訪れる丘を麓から登ることになった。

 

さて、中国の北京市の中心に、紫禁城がある。映画『ラスト・エンペラー』でも描かれたように、中国最後の皇帝・溥儀が青年期まで暮らした城である。マンダレーと同じく平地である北京の場合にも、城の北側に、今日「景山公園」と呼ばれる丘がある。おそらく北京の景山は人口の丘を作らせたものであるが、ここマンダレーの王宮の北側にも、マンダレー・ヒルという丘があり、そこからマンダレーの街を一望できるのであった。

 

北京の場合は人口の丘であり、マンダレーのそれは自然の丘のようであるという違いはあるにしても、北京とマンダレーには「最後の王宮のあった場所」という歴史的な因果にも類似性がある。

 

 

 

次のブログ「ミャンマー寺院の特殊性」に続けます。

マンダレーの丘に

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