ミャンマー:旅人ローゼン、そして新たな旅人との出会い。

 

前回のブログ「旅の盟友ローゼンという男の一端」からの続きです。

 

 

出会って初日ですぐに意気投合した旅人ローゼンと私。その夜、夕食の席で話すうちに、マンダレーで二泊した後、ミャンマーで最も有名な三千ものパゴダ遺跡のある世界遺産の町バガンにも、電車で一緒に行くことにした。ミャンマー鉄道はイギリスの植民地時代の鉄道をそのまま継続して利用し、予算や技術の不足からメンテナンスが全く行き届いていないため、その施設の劣化がひどいことで名を馳せている。また、本数の少なさも顕著である。

 

マンダレー二日目、ミャンマーで迎えた初めての朝。庭のないガーデン・ホテルの窓の外の靄のかかったような景色を眺めると、そこには当然のことながらマンダレーの街がある。やっとミャンマーに感覚が馴染んできた朝、まずマンダレー駅までバガンへの列車のチケットを予約しに行くことにした。

 

もしチケットが売り切れていると、他の交通手段であるバス移動か、あるいはその翌日までマンダレーにて列車を待たないとならなくなる。幸い、マンダレーに二泊したその日の夜に発ち、翌朝早くにバガンに着く夜行列車の「アッパー・クラス」を予約することができた。いくつかある座席のランクの中、この「アッパー・クラス」という快適そうな名のシートであるが、後日それが「地獄の夜行列車」であるのを体験することをこの時はまだ知らない。

 

 

マンダレーの駅構内にある掲示板は、当時ほぼ全てミャンマー語での表記となっており、「マンダレーからバガンまでの列車の情報」をミャンマー語を理解しない外国人が判読する難易度は非常に高かった。

 

 

しかし、マンダレーはミャンマー第二の都市である。駅員の中には外国人にチケットを売ることに慣れた職員がおり、普通に英語も通じたので問題がなかった。ミャンマーの主要駅には、こうして英語のやりとりができる職員がいるので、掲示板が全く読めなくともチケットの購入はできるようになっている。少し気をつけなければならないのは、現地のミャンマー人のチケット・カウンターと、外国人向けのそれとが分かれていることがあるぐらいであろう。

 

 

宿に戻り、「マンダレーの見所をいくつか巡るジープ・ツアーがある」と宿のロビーにいたジープ・ツアーを催行する男から聞く。パンフレットの類があれば、どのような旅程のツアーなのか分かり易いのだが、この稼業をしばらくやっているはずのその男は、「訪れる場所」から「時間配分」まで、全て口頭で説明するのであった。

 

そうした徒手空拳の無駄に時間が取られる説明、客の時間を浪費するやり方に業を煮やしたローゼンが、「毎日そうやって口頭だけで説明をしていたら大変だよな、資料を作ってそれを客に見せながら要点だけを説明すれば、もっとビジネスがうまくいくぜ。時間も浮くし、ビジネスは上手く回るし、君の子供にも良い教育を受けさせられるだろ」と諭していた。

 

だが、おそらくそのツアー催行業者の男の仕事のやり方は、その後もしばらく同じスタイルであったのだろうと感じた。良くも悪くも、それがミャンマーの一部の人の仕事の仕方なのだ。洗練された、というより世界各地で普通に行われている仕事の仕方を見たことがないので、どうすれば業務の仕様が改善されるのかが全く想像できないのであろう。それからもしばらくは「全くのゼロ・ベースからの説明」が続いたのではないだろうか。

 

ジープ・ツアーを催行する男によると、ジープ一台に運転手が一人、ツアー客は三人まで定額とのことであった。ローゼンと私の二人でそのジープ・ツアーをチャーターすると費用は二人で按分だが、もう一人参加者がいれば、費用は三等分となる。

 

早速、その辺のカフェやレストランを覗いてみる。たまたまそこにいた日本人の旅人のTさんに、ジープ・ツアーの話をしてみる。彼女もマンダレーに来たばかりで、我々が訪れる場所に行ってみたいと思っていたとのこと。2013年にミャンマーのマンダレーを一人旅している女性だけあり、旅慣れた人であった。カジュアルに「それ行くよ」と快諾してくれる。

 

こうして、マンダレーの見所を周るジープ・ツアーの三人が揃ったのであった。

 

 

次のブログ「ミャンマーの日常に宿る永劫回帰」に続けます。

いざ、マンダレー周遊へ

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