前回のブログ「夕日に映える世界最古のチーク橋」からの続きです。
マンダレー、アマラプラ、サガインなどの見所の幾つかを駆け抜けたジープ・ツアーを終え、宿に戻る。別の宿に泊まっている日本人の旅人Tさんとまた夕食の時に合流することにしていたので、すぐに宿の近くにある食事処にて落合い、旅人ローゼン、Tさんと共に夕食をとる。
初めてミャンマーの地に降り立ち、丸一日が過ぎ、二度目の晩餐である。刺激の多い国は1日がとても長く感じるが、このミャンマーという地はまた格別であった。
以前勤めた会社の後輩が、別の案件で東京で再会した折り、「このまえミャンマーに行ってきたんですよ。これお土産です」とミャンマー・ビールの缶ビールをくれたことがある。その当時、私はまだミャンマーを訪れたことがなく、日本でもあまり出回っていないビールを手にし、「さすが、気が利いたものをくれる奴だな」と感心したことがあった。
マンダレーに到着した当日、現地マンダレーのビールを飲んだが、この日はミャンマーで最も有名な「ミャンマー・ビール」を口にすることにした。旅の1日の終わりに、旅人ローゼンと乾杯といきたいところだが、彼は酒を飲まないので、Tさんと酒杯を傾けた。後輩がくれたミャンマー・ビールも嬉しいものであったが、ミャンマーの地で飲むミャンマー・ビールは、また感慨深いものがあった。

2021年2月1日、軍事クーデターが勃発。3ヶ月経った今でも、ミャンマーの人々は軍部の理不尽な暴力に苦しめられている。ASEANのトップ外交がインドネシアのジャカルタであり、非武装市民への暴力の即時停止を約束したミャンマー軍のトップであったが、それも予想された通り口だけで、その後も市民への暴力、拉致監禁、虐殺は続いている。
ミャンマーの地で飲むミャンマー・ビールは、その味はともかく心に染みるものがあった。しかし、こうしたミャンマーのビールや酒類の多くが、軍部の高官のファミリー企業や関係者の会社であり、ミャンマーの酒を飲むことが、彼らを利することにつながるということだ。
今後、ミャンマー情勢が平和に戻るまで、ミャンマー軍の高官やその周囲を利することになるミャンマーの酒は口にしないことにした。
また、日本国民が国に預けた税金がミャンマー軍に流されないよう、しっかりと注視していく必要がありそうである。特に日本政府の対応は意味不明なものが多く、「ミャンマー(軍)との太いパイプがある」などといつも通りよく分からないことを言いながら、何もしない日が続く。
次のブログ「忘れ難きミャンマーの夜行列車」に続けます。

今は遠い、ミャンマーを想う
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