忘れ難きミャンマーの夜行列車

 

前回のブログマンダレー近郊のジープ・ツアーを終えてからの続きです。

 

 

ミャンマー最後の王朝都市であるマンダレーから、古都バガンへの移動手段は幾つかあるが、旅人ローゼンと私は夜行列車を選んだ。日中はマンダレーの最後の観光に当て、夜は夜行列車で眠りながら移動し、翌朝バガンについてからまたしっかり活動しよう、そんな心算であった。

 

しかし、そこはミャンマー。「ミャンマー旅の初心者」二人の想像を遥かに超える「夜行列車の体験」が待ち構えているのであった。

 

 

まず、マンダレー駅へのアクセスはとても容易であった。旅人ローゼンも私も、荷物は小さめのバックパック一つである。二日ほど一緒にいて分かったが、旅人ローゼンは替えの服も最小限であった。これについてはまた別の回に記そう。

 

さて、マンダレー駅に着いた。

 

旅人ローゼンと私が乗車することになっている列車は、すでにプラット・ホームに待機しており、極端な遅れなどということもない。「ミャンマーのことだから、ひょっとしたら牛車か何かが来るんじゃないか?」と冗談を言い合っていたが、普通に鉄道の上に鉄製の列車が止まっている。少なくとも、動力は牛ではなかった。

 

「アッパー・クラス」のチケットを持ち、指定クラスの車輌に乗り込む二人。この辺りから、何か違和感を感じ始める。そう、ほとんど「アッパー・クラス」感がないのである。

 

 

かなりくたびれた薄暗い車輌には、不釣り合いな三列シートという具合に、各座席の横幅はそれなりに広く、またリクライニング・シートであるというのはよかった。しかし、このリクライニング・シートの殆どが壊れていた。自分でリクライニングの傾斜の角度を定められない座席が多く、たまたま指定された座席のシートが稼働する傾斜角度を受け入れるしかなかった。あるシートは多少は動き、その他のシートは全く固定という具合である。一応は指定席であったので、チケットを購入した段階で、自分に割り振られた座席の傾斜角度と一蓮托生であり、リクライニングに見えるシートの殆どが、実は固定シートであった。

 

それでも、ロウワー・クラスの座席と比べれば、アッパー・クラスのそれはずっと快適に見えた。ロウワーのシートは木製の全く動かない硬い座席であり、背もたれは座面に対して直角に屹立していた。

 

 

また、ロウワー・クラスの車輌にいるミャンマーの人々が、なぜか長袖やジャケットを着ているのが気になった。停車している車両の中は夜でもやや蒸し暑く、窓が全開になっているとはいえ、まだ扇風機も動いていない。

 

アッパー・クラスの車輌に戻ると、半袖短パンの欧米人の姿が目立つ。旅人ローゼンや私も、もちろん同様の格好である。

 

夜行列車がゆっくりと走り出す。マンダレーの駅から出発し、少しするとすぐに辺りには街灯が殆どない、闇夜の中を列車は走り続ける。列車のスピードは30キロから40キロ程度であるようだが、なぜか揺れが激しい。横揺れだけでなく、縦揺れもひどい。頭上の扇風機が全く稼働していなくとも、窓が前回なので夜風が肌に冷たく、体温をどんどん奪っていく。たまらず近くの窓を閉めようとするも、しっかりと閉まる窓はひとつもなく、ひどいとほぼ窓が全開のまま列車は猛烈に揺れながら走っていく。

 

ロウワー・クラスのミャンマーの人々は、この夜行列車の猛烈な寒さを知っていたのである。急いでカバンからありったけの長袖シャツや靴下などを出して履いても、窓が開けっ放しの車内に吹き荒ぶ風は厳しく、また揺れがいつまでも激しい。列車の激しい揺れのため、自然とヘビー・メタルのコンサート会場のように、皆で調子を合わせてヘッド・バンギングをしている様相である。

 

なんとかこの苦行をやり過ごそうと思い、眠ってしまおうにも、揺れが激しすぎて眠れない。気を紛らわそうと本など読もうにも読めない。音楽を聴こうにも列車のノイズが常に酷い。

 

マンダレーの駅から出発した当初は、この想定外のジャンピング・トレインに笑っていた欧米人たちも、30分、1時間とするうちに、これがずっとバガンまでこのままであると悟り、皆無口になっていく。

 

 

数時間の苦行の末、まだ世が明けぬ内に列車はなんとかバガン駅へと辿り着いた。列車を降りた時、体はすっかり冷え切り、頭は重く、やや吐き気ももよおしていた。プラットホームを歩くと、揺れていないはずの地面がしばらく揺れているように感じられた。

 

ミャンマー鉄道の旅に慣れた地元の人々は、長袖と長い巻きスカートのロンジーで身を包んでいる。中にはマフラーをしている人、毛布や手袋を持参している人までいた。それでも、寒さでやられた体を快復させるように、皆腕組みをして体温の回復を待っているかのようであった。

 

半袖短パンの異邦人たちの装備は、この夜行列車の苦行には向いていなかったのである。

 

2013年のマンダレーからバガンへの夜行列車の行程は、これまで世界で乗った列車のどの路線よりもキツイものであった。今でこそ「とてもしんどかったけど、旅の良い想い出」の一つとなっているが、「もう一度乗りたいか?」と問われれば、答えは「ノー」である。

 

 

2020年、ミャンマー第三の都市であるモーラミャインでミャンマー通の旅人と話をした。彼は30年来、十数度ミャンマーを訪れているという。ホームステイをするほどの仲の北部に住むミャンマー人の友人から、セーターを二枚貰ったとのことで、自分にもそのうちの一枚をくれた。その旅では、自分はミャンマーの夜行列車に乗る予定はなかったので、彼の厚意は受け取り、セーターはすぐに宿のスタッフに譲ることにした。

 

そのミャンマー通の彼をして、「もうそろそろ、ミャンマーへの旅は、会社も定年したことだし、体力的に卒業かな」とのことであった。ミャンマー鉄道の酷い揺れに関しては、「線路の下の枕木が摩耗して無くなっている所もあるからねぇ」とのことであった。線路を固定する枕木が無くなっていたら、ただ並べてある箸の上を列車が走っているようなものだ。

 

ミャンマーは色々と侮れない。

 

 

 

次のブログ「旅人ローゼンと東南アジアの仏僧の類似点」に続けます。

『銀河鉄道の夜』のような美しさはなかった。

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