前回のブログ「ミャンマー:サガイン、頑張る物売りの女性。」からの続きです。
「逞しい物売りの女性」に追いかけられ、「中国風の硬貨」を土産として購入した色男の旅人ローゼン。その後、私の知る限りでは、旅の間に彼があの謎の中国風の硬貨を人に見せることはなかった。ひょっとすると、彼もそう気に入っていなかったのかもしれないし、あるいは「すげぇお宝をゲットしたので、危機管理のために黙っておこう」と考えたのかもしれない。おそらく、前者であろうけれど。
サガインの馬車ツアーは、淡々と旅程の仏教遺跡をめぐる。数百年の歴史のある野ざらしの仏塔は、すでに外装が禿げて中身のレンガが剥き出しになったものも多く、時代を感じさせる。
ミャンマーにおいては、仏塔(パゴダ、ビルマ語でパヤー)と寺院の間には、明確な線引きがあるという。
仏塔の場合、在家の信者たちが私財を持ち寄って仏塔を建て、その仏塔自体を釈迦の化身として拝んできたという。仏塔の手入れをするのは、持ち回りで在家の信者たちが行う。
対して、寺院には僧侶がおり、信者たちが寄進した私財を用いて寺の運営を行なっている点は同じであるが、寺の管理・運営は寺院の僧侶たちが行なっている。
「マハムニ寺院」のところで、「寺院」と便宜上は書いたが、あれは実の所は「仏塔(パヤー)」であり、上の定義によると信者たちが管理・運営しているということになる。とはいっても、マハムニはかなり組織的に管理・運営され、在家の信者たちが片手間でそれができるほどのものではなかったので、やはりマハムニは「パヤー」ではなく、「寺院」なのかもしれない。
馬車で土埃をあげならが走る舗装されていない道を、マウンテン・バイクを駆って廻るグループと交差した。自転車を漕ぎ、自力でこの地をゆっくりと観て周るのもなかなかに贅沢な体験であるだろう。
サガインの平原や畑の合間に点在する古い仏塔(パゴダ)は、この地に数百年もあるものもあり、風景の一部として馴染んでいた。ミャンマーの歴史地区に佇んでいると、数百年もの間、景色がほとんど変わっていないのではないかと感じることがあった。
次のブログ「サガインの丘に登る」に続けます。
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