マニラの墓地は、生者の暮らす場所でもある(前編)


 数年前に初めて訪れた「マニラの墓地」には、些か驚かされた。「死者の眠る場所」という墓地の既成概念を超え、多くの「生きた家族」が住んでいるからである。これまでにマニラでは5つばかり大型の墓地を訪れた。しっかり管理されたアメリカ人の共同墓地と郊外の墓地の2つには住人が見られなかったが、その他の3つには多くの家族が暮らしていた。

 

 先祖代々の墓地に寄り添って暮らしている、という訳ではなく、ホームレスの人々が「見知らぬ人々の眠る墓地」の中で暮らすようになり、そこで結婚し、子供を作り、そこで死を迎えるまで暮らしている人も少なくない。「揺り籠から墓場まで」ではなく、「墓場から墓場まで」である。あるいは、「ずっと墓場」だ。

 

 墓地の空いたスペースにバラックなどを建てて住んでいるのだが、墓石の上に生活用品が載っていたり、土足で平気で他者の石棺の上を横断していたり、墓地に住む人々は、そこが「他者の墓地」である事を忘れているかのように振舞っているのが印象的だ。

 

 日本的な考え方の自分からすると、かなり罰当たりな振る舞いをしているように映るが、多くの人がクリスチャンのフィリピンにおいては、墓地にはゴーストは多くいないと考えられている。むしろ「スピリットは教会にたむろしている」と考えられているので、墓地に死者が埋葬されていようとも「それは身体という物質であって、スピリットではないからあまり怖くない」という理屈のようだ。

 

 それでも、誰だか知らない人の墓石の上で眠っている少女などを見ると、なんとも言えない気分になる。墓石の中では他者が眠り、石棺の上ではまた別の生きた人が眠っているという構図だ。死者が眠るのに丁度良いサイズなのであるから、その上で人が眠るのにも良いサイズなのかもしれないが。

 マニラの近代都市とスラム街は、隣り合うようにしてパッチ・ワークのようにこの街を覆っている。マニラ中心部のマカティにも、大型の墓地がある。ここではお金のある家庭は大型の屋根や柵のついた長期契約の墓を持つ事ができる。しかし、お金のない家庭では、57500ペソ契約の安いコインロッカーのように積み重なった石棺に死者を埋葬するそうだ。更にお金のない人たちはそこに入る事すら叶わない。

 

 石棺が何段にも積み重なった光景は、コンピュータ・ゲームの「テトリス」を想起させもする。空から細長いバーや四角いブロックが降りてきて、そこにあった石棺の上に静かに着地するような妄想にとりつかれる。


 ここマニラのとある墓地で知り合った数組の家族は、異邦人である自分を明るく迎えてくれた。この墓地には
200家族が暮らしているという。

 

 40代前半で夭折した主人の骨を収めた骨壷を見せてくれた母親。同じ墓地に暮らす男と結婚したが、すでにシングル・マザーとなった長女。小学生の年頃の長男。お隣の家族には、高校生の長女に中学生の次女、12才にしてすでにキッパリと同性愛に目覚め、着々と女性化するオカマちゃんもいた。「ストリート・ファミリー」も多いが、「セメタリー・ファミリー」も多くいるのがマニラである。

 

 驚いたことに子供たちは携帯電話を持っている。フェースブックのメッセンジャーで連絡を取り合うこともできる。

 

 訪マニラの際には、手土産を持って訪れよう。墓地に眠る死者に捧げるためではなく、そこで暮らす人々のために。

 

 

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墓地で暮らす人々も笑顔が美しい。