マニラの「墓地に暮らす人々」を再訪(後編)

 

 前回の「マニラの墓地は、生者の暮らす場所でもある」の続きです。

 

 

 「マニラの墓地に暮らす人々」と知り合ってから、フィリピンを離れてからも、時折「どうしているかな」と気になっていた。フェースブックで友人になった彼らの情報にたまに更新があると、「元気そうで何より」と異国にいながらも嬉しく思っていた。

 

 

 先日、数年ぶりにマニラを訪れる機会を得られた。生活に必要であろう気持ちばかりの手土産を携えて、墓地に暮らす友人たちを訪ねた。

 「えー、本当に来ると思わなかった。冗談かと思ったよ」と再会した友人たちは迎えてくれた。「いや、冗談じゃないよ、また会いたいと思っていたんだから」と伝え、誰だか知らない墓石の横に腰掛け、しばし家族と歓談する。

 

 前回まだ15才ぐらいであったAちゃんが、再訪した時には18才になっていた。直接質問することがはばかられたのだけれど、高校までは何らかの支援があって卒業できても、それ以上の教育を受けに行くことは難しいようであった。中にはもっと小さな子供でも、日中から墓地の中で暇を潰している子もいるので、高校まで出られない子供も少なからずいそうだ。

 

 「どこか行きたいところある?」と聞かれる。「じゃあ、墓地の中を見て回りたいな」と答えると、 高校を卒業したばかりのAちゃん、若いお母さんになっていたお姉さん、そして隣の家族の誰かの子供の面倒を見ているBちゃんが、一緒に墓地を案内してくれた。

 

 彼女たちが墓地を出て、より良い生活ができるようになるには、まず子供たちに義務教育の徹底、技能習得の支援が必要であるだろう。また、日本ではストリート・チルドレンを見ることがないように、子供たちのシェルターがどうしても必要であろうとも思った。そこでは虐待などが行われないよう、健全な施設となるように第三者のチェックも常に必要である。

 

 フィリピンの貧困は、宗教とも根深く絡んでいる面がある。国民の多くがクリスチャンである彼らは、「子供は神様からのギフト」であると考えているので、「多くの子供がいることは、神からの祝福を受けている」と捉える面がある。兄弟が10人以上いるという家庭もいまだに珍しくない。他の国のクリスチャンが「産めや増やせや」ではないのを見ると、フィリピンのそれはやや過剰な考えであることが分かる。

 

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 また、男女を問わず、フィリピン人の多くが避妊具を使いたがらないという厄介な面もある。こうした曲解した宗教観や後先考えない性質なども「貧しい家庭は子沢山、裕福な家庭はやや少なめ」という結果につながっている。

 

 仮に墓地に暮らす親に教育や先行きへの考えがなく、子供たちを無条件で保護するシェルターがあったとしたら、「子供をいくらつくっても、シェルターが育ててくれるから安心」ということになり、ホームレスの人々は、さらに多くの「神からの祝福」を授かってしまうだろう。

 

 束の間の墓地の散歩を終え、一緒に見て廻ってくれた友人たちとお別れする。彼女たちがより良い環境で暮らせるようになるよう、具体的なアクションが起こせたらと思う。貧困支援の国際組織やNGOなどは、中間マージンを多くとって、「自分たちを支援する組織」となっていることも珍しくない。支援が必要な人たちにしっかり支援を届ける工夫も必要である。

またの再会の日まで。