フィリピン社会の拡大する所得格差

 

 何度かフィリピンを訪れてみて、回を追うごとに感じるのは、「どうやら所得格差が拡大している」ということだ。特に、経済発展の著しい首都マニラでは、その傾向が顕著であるように思える。

 

 かつては、「みんな平均して貧しいのだろう」という印象であったが、今日では「お金持ちも少なからずいる。それでも、貧しい人はまだまだ多い」という状況だ。一説には、フィリピンには1割の富裕層、6割の中間層、そして残り3割の貧困層が暮らしていると言われている。

 

 以前から、ホームレスやそれに準ずる人々は、フィリピンの首都マニラには多くいたし、今日でもそうした人々は少なからず存在する。いや、かなり多く存在すると言っても良いだろう。

 

 南国の気候のフィリピンなので、雨露さえしのげれば、寒さで凍えることもない。フィリピンは冬の寒さの厳しい北国より、ホームレスをするのに適した気候とも言えなくもないが、やはり生活が厳しいのは変わらない。

 また、ホームレスの人々でも、フィリピンでは普通に恋をすれば、子供を作ったりもする。ホームレスというのが、フィリピンではそう珍しくない所得階層として定着しているのである。インドのカースト制度の最下層である、ダラットの人々のように。

 

 

 街中に行き場がなく、他人のお墓の中で暮らすホームレスの人々には、墓場で生活する両親がその墓場で出会い、恋に落ち、出産こそ近所の病院で数日過ごしたにせよ、ほぼ墓場で生まれ育っている若者も少なくない。

 

 彼ら・彼女たちは、恵まれた環境で生まれ育った若者とは、就学・就業の機会や質にも雲泥の差があり、生まれた時点でそのクラスから抜け出すことが難しい環境に置かれている。それでも、日々の生活の中では明るく健気に生きている。

 かたや、安い賃金の英語を使える労働者を使い、大きな財産を築いた富裕層も存在する。英語圏の先進国からの下請けや外注(アウトソーシング)により、フィリピンにもインドと同様に中間層が急速に誕生した。彼らは少し余裕ができると大型のコンドミニアムに小さな部屋を買い、生活の質が大幅に改善された日々を送っている。

 また、さらに多くのお金を手にした人々は、城壁のような塀に囲まれた邸宅地に住むようになる。そこには部外者が侵入することを拒む大きな銃を携えたセキュリティ、高い壁に囲まれた「仮想の領土」が存在する。

 

 いつしか、貧しかった頃の生活を忘れ、貧困層への警戒心が高まり、次第に蔑視すら持つようになる。富める者にはますます富が集中し、貧しい者はそのまま置き去りにされているという状況は大きく変わっていないようだ。

 それでも、フィリピンに癒しや希望があるのは、貧しい子供達にも明るさがあることだ。下町を歩けば子供達が屈託無く道端で遊んでいるのを目にすることができる。

 

 マニラの「富裕層の住む排他的な城壁のある地区」以外では、ホームレスやそれに準ずる生活水準の家族の姿をほぼどの地域でも目にする。ここでも、子供達は身なりはやや汚いが、 総じて明るく元気だ。

 ムスリムの多い南部を除いて、圧倒的多数がキリスト教信者のフィリピン。しかし、キリストに生活上の救いを求めても、何も救いがないことは歴史が証明済みだ。キリストの教えをやたらと曲解する人々も少なくない。そして、キリスト教の信者でありながら、子供達から搾取する不届きな輩が、フィリピンにはまだまだ多く存在する。

 

 キリスト教の総本山であるバチカン市国から、総元締めであるポープがフィリピンを訪れた際、「貧困の解決が必要だ」と訴えてはいた。しかし、実のところ、キリスト教自体がその一翼を担っているというのが皮肉ですらある。

 不公平なフィリピン社会全体の底上げには、いましばらくの時間が必要だと、フィリピンを訪れる度に強く思わされる。路上の子供達の瞳から、明るい希望の灯が消えないと良いのだけれど。

日本では中間層がメルトダウンしつつある