曼谷華僑の夢の跡 「廊1919」に想う

 

前回のブログ「曼谷華僑の夢の跡 廊1919からの続きです。

 

 

コロナ禍が始まる前には、それなりに訪れる人も多かったであろう「廊1919」であるが、今は辛うじてオープンしているものの、まだ施設の半分ぐらいは休眠状態であり、訪れる人の姿もまばらである。逆に、大声で話したり自撮りに夢中になる大陸からの観光客などが全くいない分、とても快適である。

 

レストランや複数のカフェなどもある「廊1919」だが、オープンしているのは何店かのカフェのみで、数ヶ月の間に続けて三度ばかり訪れてはみたが、毎回チャオプラヤー沿いのレストランや展示施設は施錠されたまま静まりかえっていた。

 

 

それでも、かつての栄華を偲ばせる二階建ての建築物群は、中国大陸の様式を感じさせる造りであり、建物自体が「敷地の外と内」とを隔てる堅牢な外壁となり立ちはだかる様は、中国の四合院の造りを思わせるものがある。

 

 

ここ「廊1919」においては、一方をチャオプラヤー川に向かって開かれ、そこをゆったりと川が流れているので、強いて言えば三合院であり、四方全部を建物で囲んだ四合院のような閉塞感はないが、川が城郭の一面の役割を果たし、緩やかに四合院を形成しているのも面白い。

 

 

1919の英語表記はLhong 1919であるが、「廊」という字は、北京語(標準語)の拼音ではLang」であり、その発音の異なる綴りからも、ここの華僑たちの出身地が中国の南方なのであることが類推される。あえて「Lang」とせず、「Lhong」としている辺りにも、自分たちの祖先のルーツが中国の南方であるとの矜持が窺える。

 

 

中国大陸から新天地を求め、諸外国に散らばった華僑の末裔を華人と呼ぶ。中国からやってきたばかりの第一世代の人々は華僑であるが、彼ら華僑の子孫で現地生まれのチャイニーズは華人である。

 

第一世代、第二世代ぐらいまでの華僑・華人たちは、やってきた中国の出身地域毎、家族毎の集まりを形成し、「福建人」「温州人」「広州人」「潮州人」などのコミュニティを形成し、その後の生活の相互扶助の部落を各地に根付かせていった。

 

いつの時代も、「国家」というものが頼りにならない「共同幻想」であることを4千年の長きに渡り知り抜いている華人たちは、「いざという時に頼れるのは、親しい地縁・家族だけ」という思想を持っていたのである。

 

 

 

次のブログに続けます。

世界には5000万人の華人がいるという

そのほかの「タイ王国の記事」

そのほかの「ASEANの記事」