タイ人の多くは、自分が何曜日生まれか知っている。

 

 自分の誕生日を知らない人は少ない。特殊な事情がない限り、「何年何月何日」とソラで言えるはずだ。日本人なら、ここに「平成」だの「昭和」だのと、日本ならではの「区切り方」が加わる。

 

 しかし、「自分が何曜日に生まれたのか」を即答できる日本人は少ない。ところが、タイ人の多くはこの問いに即答できる。なぜか?それは今日のタイ仏教では、何曜日に生まれたかが意味を持つ「仕組みがあるから」である。

 釈迦が生まれたネパールでも、悟りを開いたインドでも見なかったが、タイ仏教の寺に行くと、曜日ごとに拝む対象の姿勢の異なる仏陀像がある。そこにはご丁寧にも献金ボックスが設置されていることが多く、自分の生まれた曜日の仏陀に対し、健康祈願や商売繁盛など、願い事をしていくタイ人仏教徒の姿が絶えない。

 タイ人の友人と会っていると、「何曜日生まれ?」と聞かれることがたまにある。日本人に同じ問いを聞かれたことはそうないが、タイ人にとっては「何曜日生まれか」も仏教の仕組みの中で大事な要素を担うよう、「後付けで」なっている。そう、タイ仏教のビジネスの一貫として。    

 

 

 

 ただ単に寺を参観し、お祈りを捧げ、お賽銭を一度だけ貰うだけでは飽き足らず、タイ仏教のお寺は「さらに財布の紐を緩ませる仕組み」を幾つも考え出している。その一つが、この「曜日ごとに姿勢の違う仏陀像を並べ、そこにお賽銭を入れさせる仕組み」である。

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 この仕組み、はたから見ていると、タイ人の仏教信者には非常に有効に作用しており、より細分化された(ざっくり七分割)崇拝の対象があるおかげで、みんな一緒くたの仏陀への祈りよりも、より個々人にとって霊験の強い仏陀への喜捨をしたい人々の心理を上手についている。(お隣のミャンマーでは、これが八つになる。)

 タイ王国は9割以上が仏教徒の国であるが、少数派であるイスラム教やヒンドゥー教にも配慮し、仏教を「国教」とはしていない。

 

 しかし、タイ王国の年度は西暦よりも「仏暦」を重んじている。仏教が国教ではないとしながらも、多くの場合、「年度は仏暦で数える」あたり、「タイ人ならではのジグザグ思考」はさすがである。西暦だとキリスト教歴なので、これまた問題があるとも言えなくもないが、「タイ王国建国から800何年」という「タイ王国歴」でもいい所に、特定の宗教の「仏歴」を用いるあたりがチグハグである。

 さらに金儲けにあざといタイ寺院では、頭上から紐を垂らし、それを信者の頭につなげて「仏教パワーを点播する」という、普通に考えれば眉唾な新興宗教のような仕組みで、金をさらに集めようとする所もあるが、これはまだ主流とはなっていない。この「紐でパワー伝播の仕組み」がよく儲かるようになった場合、他の多くの寺にも広がり、「新手の集金手法」として定着するのであろう。

やれやれ