タイ王国:映画本編上映前の雰囲気にも変化が

 

 前回の「裸の王様」でも書いた通り、タイ王国の雰囲気が先代の国王の頃と比べると、随分と変わってきている。

 

 以前、「タイ王国で映画を観る際の特殊性」でも触れたが、タイ王国で映画を観る際には、映画本編の前に、様々な広告や映画の予告編に混じって、約2分間に渡って「国王に敬意を示す映像(つまり王のブランディング広告)」が本編直前に流され、その間、観客は全員起立して敬意を示さなければならない。

 

 かつてのプミポン国王の映像の頃、ほとんどのタイ人の観客たちは自発的に起立し、国王への忠誠を心の中で誓い、恭しくお辞儀をして着席していたように見受けられた。中にはプミポン国王への気持ちが昂るあまり、涙ぐむ人もいたほどだ。

 

しかし、先代の国王の2分間の映像時にも、毎回毎回、映画を観に行く度に起立させられるのが耐えられない外国人は、その映像が流れる本編直前まで劇場の外で待機し、それが終わった頃を見計って劇場内に入ったものであった。

 

 ところが、今生国王の約2分間の映像の時間には、かつて一部の外国人がやっていたように、劇場の外で時間を潰すタイ人の姿も見られるようになり、また劇場内で起立をするタイ人の中にも、まだ「王を讃える映像や曲」が終わっていないうちから着席するような人まで見られるようになってきているのである。

 

 タイ王国には、かなり厳しい「不敬罪」がある。これは今生国王が設定したものではなく、先代のプミポン国王の頃からしっかりあるものであり、王や王家の存在に疑問を呈することを厳しく罰するものである。また、不敬罪はこうした国王・王室への敬意や忠誠を示さない人々の行為・言動が明文化されているわけではなく、適時その状況下で厳しく罰っせられるというものだ。さながら「明るい北朝鮮」といったところである。北朝鮮のあの奇抜な髪型の首領は「国王」ではないけれど、「不敬罪」に関する実情はほぼ同じだろう。

 

 北朝鮮の先代の首領は、何度も危ない状況にあいつつも、のらりくらりと寿命を全うした。しかし、今代のあの奇抜な髪型の首領は、どこまで持ち堪えられるか分からない。ひょっとすると、髪が薄くなる前に、あの座から引き摺り下ろされるか、国外に亡命しないとならなくなるかもしれない。

 

 タイ王国の今日の雰囲気を垣間見ていると、どうも今生国王がその天命を全うされるのか、はたまたリビアのカダフィ大佐のようにその座から引き摺り下ろされるのか、先が読めない状況となってきた。

 

 「不敬罪」で処罰されるような不遇な人々が一人でも少なく、かつタイ王国の多くの国民にとって、できるだけ平和で最良の結果となることを祈ろう。それが仮に今日「タイ王国」と呼ばれる国が、ただの「タイ」となることになったとしても。

まずは「不敬罪」の廃止を。

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