タイ王国の港町:プラチュアップ・キーリー・カン

 

 タイ王国には世界的に有名な海辺の街がいくつかある。知名度の高いプーケット島やパタヤの街は、静かに海辺で寛ぎたい人々にはお勧めできない地に成り果ててしまった。

 

 

 どちらにも多くの中国大陸人(ここで大陸人と書く場合、多くの場合「漢民族」を指す。少数民族は価値観が異なるので)が押し寄せており、また大挙する団体の一角を占めるロシア人の群れも、ロシア語だけで生活のできる独自のコミュニティを形成している。

 

 プーケット島やパタヤは、多くの人にとっての「旅先」としての賞味期限を過ぎ、すでに「漢民族やロシア人の生活圏に組み込まれた島や街」となっている。

 

 漢民族の集団の傍若無人な振る舞いや、ロシア人の引き篭もり振りが気にならず、さらに海よりも人波を多く見なければならないことにも耐えられる人には今日のプーケットやパタヤも良いだろう。

 

 しかし、そうでない人々にとって、プーケット島やパタヤは居心地の良い場所ではなくなってしまった。2010年頃から、この傾向が顕著になった気がする。上海万博の頃からだろうか。タイの中華街を中心に繰り広げられる、大陸でのヒット映画も大きな影響を与えた。

 

 では、タイ王国で気分が休まる海辺の街が無いかというと、いくらかはある。漢民族のツアーが組まれてない場所、ロシア人がコミュニティを作っていない場所、地元の人々が観光客ずれしていない場所、という視点で見ていくと、首都バンコクの近隣では、「プラチュアップ・キーリー・カン(県)」が挙げられる。

 プラチュアップ・キーリー・カン(県)には、大陸人にも有名な王室の別荘のある首都バンコクから200キロばかり南西に行ったフア・ヒン(Hua Hin)がある。ここは2000年台初頭はまだ良い場所であったが、今日では大挙する大陸人の波、すっかり商業化した街の雰囲気から、すっかり魅力の無い街になってしまった。

2000年代初頭ぐらいまでは素敵な場所だった、フアヒン
2000年代初頭ぐらいまでは素敵な場所だった、フアヒン

 しかし、このプラチュアップ・キーリー・カン(県)には、フア・ヒンからさらに100キロばかり南に行った場所に、県庁所在地のあるプラチュアップ・キーリー・カンというその名を冠した町がある。この町がまだ幾分は静かで美しく、タイ王国に長く暮らす欧米人を中心にファンが少なくない。

 

 首都バンコクからは南西に約300キロの距離にある。ここには鉄道駅もある。大戦中には、日本軍がここの浜辺から上陸したとされるいわくつきの地だ。この美しい海辺の町を見て、若い日本兵たちは何を感じたのだろう。

 タイ王国は象の頭部のような地形をした国である。プラチュアップ・キーリー・カン県はその口元から細長く伸びる鼻先に行った所にあり、お隣のミャンマーと接する細長い県である。

 

 タイ湾からミャンマーまで、最も細い部分は13キロしかない。この町の食堂などでは、ミャンマー人の出稼ぎ労働者や長期生活者の女性たちが、顔にタナカを塗って生活している姿を目にする。実際にタイ王国とミャンマーの国境まで行ってみたことがあるが、この地の小さな国境はタイ人とミャンマー人しか越えることができず、異邦人は越境することが叶わない関門であった。

 プラチュアップ・キーリー・カンの町の中心部には、かつて漁船の水揚げ場であった場所があるが、ここもタイ王国の急速な観光化の洗礼を受け、今日では外面の良い綺麗な見晴らしの良い桟橋となってしまっている。ほんの数年前までは、水揚げする漁船がこの桟橋に停泊し、バイクでもそのすぐ近くまで乗り付けることができたのだが、今日では歩行者が立ち入りできるのみだ。

 

 素顔のままの方が素朴で綺麗な女の子が、いつからか色気付き、覚えたての安っぽい化粧をして、志村けんのバカ殿様張りの白粉や、眉毛を悪戯書きされた犬のようになっていることがあるが、この町の観光地化もそんな印象を与える。いっそのこと、「君は妙なことをしなくても、素顔のままで十分に綺麗なのだから」と、顔を洗うのを手伝ってあげたくなるような町である。

 

 国道4号線からプラチュアップ・キーリー・カンに向かう交差点の近くに、大きな総合量販店のマクロがオープンし、この静かで美しい港町にも着実に商業化、観光地化、不動産市場化、近代化の波が押し寄せつつある。この町の良さがあとどれぐらい維持されるのか、プラチュアップの好きな者としては気になるところである。

 

 

 

 回を分け、プラチュアップ・キーリー・カンの空軍基地の内部にあるビーチを紹介しよう。

 

 

 

 

「プラチュアップ」でタイ人には通じます

 

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