タイ王国「ある森の中のお寺」:カオ・ヒン・ターン寺

 

前回のブログ、「金満寺にみえる、パークナム寺」からの続きです。

 

 

鼻を伸ばした象の顔のような地形のタイ王国。その鼻の部分にあたり、プラチュアップ・キーリー・カーン県のあたりが、タイ王国の国土で「最も細い部分」となる。タイ湾から陸路で西へとほんの14キロほどいくと、そこにはもうお隣のミャンマーへの国境があるのである。

 

ここにあるボーダーは、地元のタイ人とミャンマー人しか越境することができず、他の国籍の人々は国境のどちらかから「見るだけ」となる。それでも、国境の真近まで行くと、ミャンマーの人々のローカル・マーケットなどもあり、異国情緒を感じるために訪れる人もいる。

 

このタイ王国・ミャンマー連邦共和国のボーダーから山の中の道へと寄り道をすること数キロ、「森の中の寺」はひっそりとしたタイ王国とミャンマー国教沿いの山中に鎮座するのであった。

 

 

この「森の中の寺」、その名を「カオ・ヒン・ターン寺」という。

 

カオ・ヒン・ターン寺で修行をする僧は主に一人のようで、彼の元を訪れる仏教徒たちは、どちらかというとミーハーな感じの仏教徒よりも、割と真剣に、「純粋な仏教の思想を体験し、学びたい」という人々が多そうである。

 

金満寺と化し、信徒から寄進される金や財産を私財と勘違いして裏で放蕩の限りを尽くしているタイ大乗仏教の高僧が多いことはよく知られているが、ここの僧にはそうした浮ついた世相を嘆くような姿勢が見られる。

 

外国人を見れば、すぐ「歩く財布」のように扱う金満寺が多い中で、このカオ・ヒン・ターン寺は、外国人から何かをむしり取るのではなく、むしろここを訪れる人に対して、逆に情報提供ができないかと考えている節すらある。

金満寺と化した「ワット・プラケオ(王宮付属の寺)」「ワット・ポー(涅槃仏のあるバンコク最古の寺)」「ワット・アルン(暁の寺)」「ワット・サケット(2バーツ貨幣の寺)」、チェンマイの「ワット・プラダット・ドイ・ステープ」などは、仏教徒であろうとなかろうと、外国人と見るやタイ人には課さない「入場料」をせびりとる。

 

また、さまざまなアクティビティでお金を落とすように仕向ける、商魂たくましい寺が多く、正直、仏教芸術は資金量に比例して美しいものの、その性根に辟易としてしまうことが少なくない。

 

しかし、ここワット・カオ・ヒン・ターンでは、英語の最低限の道案内の標識はあるものの、僧の方から何かをせびるような姿勢はなく、軽く挨拶だけするとあとは好き勝手に岩場の寺を散策することができるのである。

 

また、ここは「寺」というよりも、「修行のキャンプ・サイト」といった趣である。雨露をしのぐ為、また瞑想をする場所としての窪みなどがあり、トイレを兼ねる高台から景色を眺められるような最小限の建造物がある他は、ほぼ自然のままの岩場の状態が手付かずで残されているのに好感が持てる。

 

今日のネパールのルンピニー地区で生まれ、その後各地を転々としながら瞑想などの修行をし、悟りを開き、弟子たちを指導し、最後は腐った豚肉でお腹をこわして他界したというブッダ(釈迦)。

 

釈迦が過ごした頃は、今日のようなビジネスと化した金満寺の数々はもちろんなかった時代。素朴な仏教の創世記の様子に思いを馳せるには、有名な都市にある金満寺よりも、こうした森の中の寺で最小限の備品の中で生活している僧と寝床だけの方が、より原始的な仏教を感じられるのかもしれない。

プリミティブな仏教を想う

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