17歳の女子大生に「美しい墓地」に誘われる

 

前回のブログ「リヴィウ旧市街にてカフェ巡りからの続きです。

 

 

※本ブログの内容は、私が初めてウクライナを訪問した2014年当時の内容です。

 

ご存知のように、現在ウクライナはロシアによる侵略戦争を受け、大変な状況にあります。

 

連日ニュースで伝わってくるのは、過酷な戦渦の内容が多いです。

 

「比較的平時のウクライナの素顔」を伝える目的で、過去の旅の内容を綴っています。

 

 

コーヒー・ショップでのひと時を過ごした後、ほぼ半日に渡り自分の面倒を見てくれたOが帰宅し、Iと連れ立って少し歩いていた。唐突にIから「とても美しい墓地があるんだけど、見に行く?」と問われた。しかも誘ってくれているのが飛び級をして大学に入った17歳の才女である。

 

「美しい墓地?」

 

日本では「美しい墓地」というものを訪ねたことがないので、「美しい」と「墓地」という言葉がつながるものという認識がなかったが、世界には「美しい墓地」というものがあるのである。

 

日本でも墓地を訪れるのが嫌いではない。いやむしろ好きな方である。実は、色々と世界を見て周ってきて、墓地があると自然と足がそこに向かうような傾向がある。日本の墓地だと祖父母の墓参りをはじめ、全く見知らぬ人々の眠る墓地をなんとなく歩くこともある。いずれ誰しも死ぬ運命にあるということを絶対的な静けさで教えてくれる墓地は、漫然と生きていてはいけないと諭してくれる場所でもある。

 

リヴィウの旧市街の一角に下宿のあるというIは、この日初めて会った旅人である自分を全く警戒することもなく、「下宿に荷物を置きに行くから、一緒に来て。それから墓地に行こう」と下宿先にまで自分を連れて行ってくれたのであった。

 

振り返ってみると、ウクライナで出会った女の子たちは、近くに自分の暮らしている部屋があると、割と会って間もない間柄の男性であっても、普通に「寄ってく?」と誘ってくれることがあった。限られた友人たちの事例だけなので、絶対的な母集団の数が少ないが、ウクライナでは割と「自分の暮らしている場所に、異性・同性関係なく招く」という習慣があるのかもしれない。

 

逆に、自分の宿泊している宿にも、割と自然に入ってくるというところもあったので、相互に訪問するというのはウクライナの人々にとっては「ごく自然なこと」なのかもしれない。少なくとも、私が出会ったウクライナ人たちにとっては。

 

Iの下宿から少し歩き、路面電車に乗って「美しい墓地」へと向かう。この「美しい墓地」、Iからの前評判に違わぬ美しい墓地であり、これまでに訪れた数カ国の墓地の中でも、かなり美しいものであった。

 

 

次のブログ「リヴィウの死者を想う「それは美しい墓地」」に続けます。

墓地にもお国柄がある

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