リヴィウの死者を想う「それは美しい墓地」

 

前回のブログ「17歳の女子大生に「美しい墓地」に誘われるからの続きです。

 

 

※本ブログの内容は、私が初めてウクライナを訪問した2014年当時の内容です。

 

ご存知のように、現在ウクライナはロシアによる侵略戦争を受け、大変な状況にあります。

 

連日ニュースで伝わってくるのは、過酷な戦渦の内容が多いです。

 

「比較的平時のウクライナの素顔」を伝える目的で、過去の旅の内容を綴っています。

 

路面電車に乗り、日が傾いた頃にIの言う「美しい墓地」に辿り着いた。

 

なんとこの「美しい墓地」、なんでもリヴィウだけでなく、ウクライナ全土でも割と有名な美しい墓地らしく、墓地なのに入場料まで取るような場所であった。

 

一人15グリブナの入場チケットを買い求め、早速この「美しい墓地」へと足を踏み入れる。

 

そこにはこれまで見たこともないような美しい装飾が施された墓石が幾つも並び、それぞれの墓石が故人の個性を主張しているもの、故人への愛に溢れるものが多く見られた。「美しい墓地」とは、「美しい装飾の施された墓石が多くならぶ墓地」のことであったのだ。

 

入り口付近の大きな祠のような墓から始まり、中小規模の美しい多くの墓石群が霊園内へと続く。

 

その一点一点にそこで眠る人の物語があり、またそこで眠る人への家族愛が感じられた。

かつて、ここまで芸術性の高い墓石が多く集まる墓地を訪れたことがなかったので、まるで博物館の中でも歩いているかの様に、一つ一つの墓石に感銘を覚えながら、この美しい墓地で「死後の世界」を暮らす住人たちが談笑している様子を思い浮かべたりもした。

 

それでも、全ての墓石がよく手入れが行き届いているわけではなく、中には長く家族が訪れることなく、雑草が長く伸びてしまっている様なところもあり、それはそれで感慨深いものがあった。

 

好きなディズニー・ピクサーの映画に、COCOがある。邦題は『リメンバー・ミー』と言う映画であるが、その中のセリフにこんなような内容のものがある。

 

「人の死というのは、物理的な死だけはでなく、家族や人々に忘れ去られた時に、本当に死んで消えていくんだよ」

 

美しい墓石の多く集まるリヴィウの墓地に眠る人々は、家族から愛されていることが垣間見られ、死後も長く記憶されていくのであろうと思われた。しかし、中には家族や友人・知人も少なく、訪れる人の少ない手入れがされていない墓石もあり、そうしたお墓からは「物理的な死後、人々の記憶からも消えていく悲しみ」のようなものが漂っているようでもあった。

 

死後も末長く何かのおりに家族の話題に上る人もいれば、すぐに話題とならなくなる人もいる。前者は残された家族と共に彼らの記憶の中で生きており、後者は人々の記憶からも消えかけてしまっているという哀しみがある。

 

さて、自分はどちらの人になるのであろう。

 

 

次のブログ「リヴィウの夕闇と路面電車の広告」に続けます。

リメンバー・ミー

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