リヴィウから鉄路でチャーニヴチへ

 

前回のブログ「リヴィウの夕闇と路面電車の広告からの続きです。

 

 

※本ブログの内容は、私が初めてウクライナを訪問した2014年当時の内容です。

 

ご存知のように、現在ウクライナはロシアによる侵略戦争を受け、大変な状況にあります。

 

連日ニュースで伝わってくるのは、過酷な戦渦の内容が多いです。

 

「比較的平時のウクライナの素顔」を伝える目的で、過去の旅の内容を綴っています。

 

 

リヴィウでの滞在を満喫した後、事前に列車のチケットを購入しておいた目的地であるチャーニヴチ(Chernivti)へと向かう。

 

2016年当時でも、すでにクリミア半島をロシアが併合し、東部の地域では戦闘が繰り広げられていたが、西部のリヴィウやウクライナ南部のチャーニヴチはまだ平和な雰囲気の「平時のウクライナ」であった。

 

平和な西都リヴィウの駅舎で何人かのウクライナ兵がいるのを見かけた。彼らはひょっとするとこれから東部の前線に行く兵士たちなのかもしれず、駅舎を行き交う他の人々よりも、ずっとピリピリした雰囲気を漂わせていたのを憶えている。

 

レヴィウの駅舎はいつも通り美しく、日本の鉄道の駅とは違ってプラットホームまで誰でも入れる構造になっている。チケットがなくとも、ふらりと駅舎の中からプラットホームまで抜けることができるスタイルなので、見送りの人もプラットホームまで気軽に立ち入ることができる。

 

 

チャーニヴチへの列車の座席は、ベッドが上下に二段あり、それが向かいあっている形のコンパートメントであったので、あまり他の乗客たちがどのように過ごしているのかを見ることができなかったが、同じコンパートメントに乗り合わせていたリヴィウ工科大学の建築学科に通う女子学生と、好きな建築物やリヴィウのことについて歓談している間に、あっという間に目的地についた記憶がある。

 

チャーニヴチに尽いた頃には、あたりはすっかり暗くなっており、駅から最も近くある宿の一つに予約を入れており、そのまま真っ直ぐ、宿に歩いて向かった。

 

日中のウクライナは比較的安全であるが、夜のウクライナの街には酔っぱらいや、たまに変なのがいるので、夜は少し気をつけたほうが良いだろう。

 

この日予約を入れておいた安宿で、それからずっと長く友人でいることになる、ウクライナの若者たちとの出逢いが待っていた。

 

 

次のブログ「チャーニヴチの安宿の物価」に続けます。

ウクライナ人は、少しシャイでも人懐こい。

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